《21世紀ルネサンスの予感》

2004年11月22日 23:43 | ART

ルネサンスとは、14〜16世紀にイタリアで展開された、思想・芸術・学問など文化的諸領域の活動の総称です。農村社会を基盤とし、知的・文化的活動が教会の統制下にあった中世の封建社会が崩壊し、都市国家が商業活動や文化的な活動を推進する時代に生まれました。
 ルネサンスは、その素晴らしい遺産とともに、人々が想像性や個性といったものを表現できる新たな時代の幕開けをもたらしました。また一方で、人々に多くの不安や多くの不確実性をもたらしもしました。その引き金のひとつになったのが15世紀中頃、ドイツの金銀細工師だったグーテンベルクが発明した活版印刷機でした。同じ状況を、パソコン、それもネットワークという無尽蔵の情報に繋がれた利器を手にした現代の我々に重ね合わせる事は出来ないでしょうか?
 もしかすると我々は今、21世紀のルネサンスの夜明けに立ち会っているのかもしれません。いまから5世紀前におこったルネサンスとは一体なんだったのか?絵画というひとつのジャンルを通して、今あらためておさらいをしてみましょう。



「キリスト伝」ユダの接吻
《「キリスト伝」ユダの接吻》 (部分) ジョット 1304〜06年頃 フレスコ スクロヴェーニ礼拝堂

絵画のほとんどが宗教画だった中世西洋美術に、はじめて自然で人間的な表情を与えたジョット。それまでの型にはまったような、神秘的で象徴的な平板表現を打ち破り、人を人として描き、そして奥行きのある現実的な空間に配しました。ユダの接吻を合図に、いままさに逮捕され、十字架へと導かれようとするキリストを描いたこの絵は、単なる聖書の解説としての宗教画をはなれ、緊迫感あふれる宗教的なドラマとなっています。詩人ダンテの親友であった彼の、抽象的な神の世界から、現実を生きる人間へと視点を移動させた作風は、マザッチオによりさらに洗練され、そしてルネッサンスへと引き継がれ大きく花開きます。彼の墓標には、「私は絵画に命を与えた人間である」と書かれてあるそうです。




《三位一体》  マザッチオ 1426〜28年頃 フレスコ サンタマリア・ノヴェッラ聖堂

ジョットの後を継いだマザッチオは、絵画にはじめて正確な遠近法を取り入れました。正確な一点透視によって表されたこの絵に描かれるキリストは、単なる象徴としてのキリストではなく、現実的な重みをもった人体として表現されています。実態としての人物表現と遠近法による背景の現実への融和は、以降花開くルネサンスの根幹をなすテーマと標準的な表現技法になってゆきます。また彼は、身体や衣のひだを自然光の表現により際だたせました。均一な光が場面全体にそそがれるのではなく、ひとつの光源から光が3次元の対象にさすさまを微妙な光と影によって表現し、当時知られていなかった自然でリアルな質感を人物にあたえました。しかし彼は、ルネサンスの本流に触れることなく25歳の若さでこの世を去ります。

三位一体



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《「春」プリマヴェーラ》 (部分) ボッティチェリ 1478年頃  油絵  ウフィツィ美術館

本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペピ。イタリア・ルネサンスのフィレンツェ派を代表する画家のひとりで、エレガントでメランコリックな人物表現と、流麗で力強い輪郭線により独自の様式を確立しました。
 当時のイタリア芸術をパトロンとして支えていたメディチ家の知的で芸術的な文化サークルで、新プラトン主義の影響をうけた彼は、キリスト教と古典芸術との調和をめざしました。その調和が最もよく洗われている作品がこれです。西風ゼフュロスに追いつかれた大地のニンフ、クロリスにはほのかな恥じらいをも感じさせる軽やかさがあります。こうして彼は、古代彫刻にあった人間の内面を人体により語る手法を復活させたのでした。




《アベレスの中傷》  ボッティチェリ 1426〜28年頃 フレスコ サンタマリア・ノヴェッラ聖堂

紀元前4世紀の大画家アペレスの同主題作品の記述をたよりに書かれたこの寓意図は、「中傷」におけるさまざまな心理状態、猜疑や憤怒などが擬人化され表現されています。人が中傷に惑わされた挙句、真実を知り後悔するのであれば、右手の喪服の女性は後悔を表し、彼女が振り向くさきに立つ女性は真実を表します。そして、この「真実」は裸体です。こうして、ジョットやマザッチオのように絵画に人間性を持ち込んだのとは異なり、彼は人間の内面を絵画に表しました。しかし、メディチ家の凋落とともに彼は、その保身の為に以降宗教色のみを色濃くしてしまいます。

アベレスの中傷



最後の審判
《最後の審判》 (部分) ミケランジェロ 1537〜41年頃 フレスコ システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂の天井画と祭壇壁画は、質・量ともにおいてルネサンス美術の金字塔です。ミケランジェロは本来、人体によって全てを表現する事を追及した彫刻家でした。この壁画の依頼に対しても、そういう理由で断ったもののむりやり描かせられたといういわくつきの絵です。したがって、ここでも人体の筋肉が作り出す美しさと堂々とした精神性が表現されたましたが、登場人物のほとんどが裸体で描かれていた為、神聖な礼拝堂を汚すものとして大きなスキャンダルを巻き起こしました。しかし、中央に配したキリストの迫力あるポーズが伝える外面性よりも精神的なもの、さらには魂の根源に迫るような表現は、その後の多くの画家に大きな影響を与えました。激情と放漫という性格を持った彼は、一方で孤高の巨人でもあったのです。



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《アテネの学堂》  ラファエロ 1509〜10年頃 フレスコ ヴァティカン宮 署名の間

ダヴィンチ、ミケランジェロがしのぎを削っていたフィレンツェにやってきたラファエロは、ダヴィンチの様式を即座に自分のものにし、古典主義の特徴である荘厳でバランスのとれた構図と、人々の自然な群集表現を習得しました。しかも、この絵の個々の人物を詳細に見ると、がっしりとした肉体をもっており、明らかにミケランジェロの影響がみてとれます。彼はその高い才能の評価とともに、「模倣の天才」ともよばれていますが、先人たちの優れた点をいちはやく吸収し、それをさらに高めた彼のゼネラリストとしての功績が、古典主義絵画の完成者とよばれる所以です。



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《ひわの聖母》  ラファエロ 1507年頃 油絵 ウフィツィ美術館

37年の短い生涯でありながら、ダヴィンチやミケランジェロのような派手さはないものの、優雅でバランス感覚に優れたその作品は、19世紀までのながきにわたり西欧絵画の美の基準としてあがめられました。先人二人の「模倣の天才」と揶揄されながらも、彼は二人の強烈な個性に負けることのない繊細で柔和な独自の美の世界を築きました。彼を孤高の師と仰いではばからないルノアールの絵画の多くに、ラファエロの強い影響が見て取れます。あまりにも教科書的な絵画ゆえに見落としがちな、彼の作品の美に対する感動を、私達ももういちどルノアールのように素直に受け止めてみてはどうでしょうか?

《21世紀ルネサンスの要件》
以上、15世紀ルネサンスについて、ジョットからラファエロへ私が恣意的に選んだ絵を題材にお話をしましたが、登場した何人かの画家達が現代の私たちに伝えるものは、

  1.それまで当たり前だと思われていたものを、新しい視点で打ち破る。
  2.目の前にあるものを多次元・多面的に捉える。
  3.人間の行う全ての事柄には、外面とともに内面がある事の認識と敬意。
  4.孤高のスペシャリストと、理想を持ち限りない努力を惜しまないゼネラリスト。
  5.絶妙のバランス感覚と、全ての対象に対する美意識。

これらは、現代人の我々が、ビジネスや家庭や日常生活、つまりは来るべき21世紀を生きてゆく上で、教訓あるいは指針となりはしないでしょうか?「ルネサンスなんて古臭い!」いや、そうおっしゃらずにもう一度、先人たちの軌跡、いや奇跡に触れてみてはいかがでしょうか?

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