グスタフ・マーラー 交響曲 大地の歌 (1909年)

2005年5月 3日 01:56 | CLASSICS

 前回お話したのが第8交響曲。で、次の交響曲は第9、ではなくマーラー9番目の交響曲は「大地の歌」と表題のついたナンバーのない交響曲です。マーラーの交響曲は、第一の「巨人」をはじめ、数曲に表題やニックネームがつけられては来ましたが、公式に作曲者がつけたのはこの大地の歌だけでした。そもそもこの曲が交響曲かどうかは判断が難しいところで、作曲者自身の交響曲と歌曲の間を揺れ動いていた作風とあいまって、判断は我々自身がつけるしかないのですが、まあ、交響曲ではないからという判断で、この曲をマーラーの代表作からはずすことは不可能でもあります。実際、この曲は最初歌曲として作曲が進められたようで、オーケストレーションに入る前にピアノ伴奏譜が作られていたようです。アルマによれば、作曲を進めるうちにマーラーの構想がどんどんと膨らみ、最終的に第6楽章にも及ぶ大作となってしまったようです。とはいっても第1から第5楽章までは、それぞれ4分から10分程度のむしろ歌曲集のような構成であり、圧巻は最終楽章の30分にも及ぶ第6楽章です。

第1楽章:大地の哀愁をうたう酒の歌
第2楽章:秋に寂しきもの
第3楽章:青春について
第4楽章:美について
第5楽章:春に酔える者
第6楽章:告別

 この「大地の歌」は一般的にはマーラーの代表作と呼ばれることが多く、優秀な二人の歌い手を要するとはいえ、比較的短い演奏時間もあって、マーラー受容のピークであった1980年代後半の、いわゆるバブルの頃はよく演奏されたようです。某酒造メーカーのウィスキーのCMに流れたていたのをご記憶の方もおられるのではないでしょうか?そして、この曲の解説などを読むと大体はこのように書かれているはずです。

「次女を病気で失い、自らの体調も思わしくなくなってきた彼は、自らの「死」をも意識するようになった。けれど順番から言えば9番目といういわゆる先人たち(ベートーベン、シューベルト、ブルックナーなど)にとってのジンクスナンバーを恐れた彼は、この曲にただ「大地の歌」という名前をつけたが、次の第9交響曲を完成した彼は、やはりこの世を去ることになる。この「大地の歌」は「告別」、あるいは「死」がメイン・テーマとなっており・・・

しかしです、当時の時代背景を理解し、彼の作品の多くを通して流れるテーマに「死」という言葉が存在していることを理解いただければ、この話がいわば神話的な噺であるともいえます。実際、この曲は第4交響曲で姿を現した「あの世」の彼岸に対し、「この世」の側の彼岸という対極とも取ることが出来ます。

 一般的に言われている「マーラーが、友人から送られた「シナの笛」という詩集に感銘を受け、東洋の死生観にふかく共感し・・・」という話しなども、当時のかなり歪曲された東洋志向やジャポニズムとあわせて考えれば、彼のいわゆる西洋の伝統からの逸脱を助ける手段でしかなかったような気もします。実際、彼はこのもともと誤訳の多い詩集をさらに改変し、メインとなる最終楽章などは、本来別々の詩を合体させるなど、詩集を忠実に再現したような形跡は全くありません。だからといってこの曲が、ただの編曲されたカラオケであると判断するのも早計で、彼の歌詞の改変はそれはそれで深い意味を構築することに成功しているし、本人の「死」を意識した達観から作られたというよりは、ますます貪欲に自らの表現の手法を探る彼の芸術家としての好奇心ととがった先進性を感じるのは私だけでしょうか?そして天才マーラーが、西洋音楽の伝統に立ち向かったもうひとつの結実としてこの作品に触れることで、この曲をあらためて20世紀初頭の交響曲、いやひとつの楽曲として見直すことも出来るのではないでしょうか?この曲は東洋趣味ではありますが、明らかに西洋音楽のひとつの結晶(アドルノに言わせると擬似結晶)なのです、サントリーさん!

 曲の最後に「永遠に、永遠に・・・」と歌われながら静かに音楽が消えゆく部分は、歌詞を読み進めれば感動的ではあるのですが、この「永遠」の意味するものは、彼の表現としての戦いが「永遠」に続くことの宣誓でもあるように思えます。しかしこの曲が初演されたのは、彼の死の半年後、愛弟子であるブルーノ・ワルターによってであり、彼が演奏やその練習を通してスコアをどんどん改定していった経緯からすれば、以降の曲は彼にとって未完成であるということも言えるかもしれません。「人生は芸術を模倣する」のではなく「芸術は運命を模倣し、芸術家は運命に従う」というあたりが真実ではないのでしょうか?さてあなたは、どう思われますか?

[CD聞いてみてちょ]
■オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団(1964-66)
「大地の歌」といえば、その初演も行った愛弟子、ワルター指揮ウィーンフィルと言われているそうですが、録音が36年とか52年とかで、個人的にはどうなの?ということで、もう少しだけ若い直弟子クレンペラーの60年代録音版です。さすがに直弟子らしい、彫りの深い演奏とともに、ルートヴィッヒのメゾ・ソプラノが作曲者の意図を確かにまた切節と伝えます。クレンペラーは常任指揮者になって、この楽団を世界に通用するオケに育てた人でもあり、そういう意味で声楽に偏りがちな鑑賞を、音に向けてみるのも一考です。またテノールのヴンダーリッヒも若々しく響きます。CMで使ったのはこの盤ではなかったのかな?1枚目としては、はずしのない名演です。

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