2005.09.20

COLUMN

「仲良しクラブはいとおかし」

CABNNONBALL ADDERLEY Quintet in Chicago (1958)

今日は火曜日ですが、昨日は祭日だったため、週初めの社内清掃に朝礼、そして運営会議。今週はなんと3日しかないんですよね!経営者にとってはリズムを崩されるだけの無用な祭日の日々。日本人はいつからこんなに働かなくなったのでしょうか?教育も仕事も、ゆとりとか何とか言っておきながら、結果はとどまることのない学童の能力低下と、働くことの美徳をすっかり忘れ、目標のない「生活の漂流者」たちをたくさん生み出してしまいました。

余裕というのは一生懸命の裏側にこっそりと用意された、ご褒美のようなもの。うちの社員には、しっかりとそれを理解し、それぞれに「甲斐」のある日々を過ごして欲しいものです。会議後は数件のお客様を訪問。午後はネゴのため県外出張、片道1時間半。夕方戻って依頼のあった仕事をこなし、ついでに日経新聞に目を通し、夜間の講師へ。明日は田舎で私用があるため、そのまま帰郷しました。つまり今日は生まれた町でこの文章を書いています。

今日の朝礼ではいろいろと厳しい話をしましたが、要点は”我々は「仲良しクラブ」でも「NPO」でもない。「営利企業」であり、目指しているのは本物の「プロ集団」であり、お客様が我々をプロフェッショナルだと認めてくださっているから、我々に信頼と仕事を提供していただけ、対価を支払ってくださる。”ということ。(要点としては異例に長い?笑)そのことを、うちの社員は常に心に刻んでおいて欲しいのです。脳みそに刷り込むのではなく、「心」にしっかりと刻み込んで欲しいのです。そもそも仕事とは厳しいものであり、お客様よりちょっとパソコンに詳しいからとかでは、決してプロとはいえません。朝から晩まで、1年365日、へらへらと過ごしているトッププロなどどこにもいません。お客様の前では最高にへらへらしているコメディアンでさえ、裏に回れば血のにじむような努力を続けているものです。それが長くトップを維持し、誰からも本物だと呼ばれている人ほど。また、「本物の信頼関係は厳しさの上にしか構築されない」と思います。意見の衝突を回避し、問題の芽を覆い隠し、表面的にはいい関係であるように装っても、そこにはうすっぺらい仕事を通じた他人の関係は出来たとしても、成長してゆくような「命あるもの」は生まれはしません。その辺のところ、みんな理解してくれたかなぁ?

今夜は、田舎で聞くキャノンボールです。時代はハードバップがいよいよ終焉を迎えつつあった50年代末。思い思いの方向へとJAZZが拡散してゆく中で、「ファンキー」へと踏み出そうとする手前のキャノンボール兄ちゃんの、こちらはモードへと流れ込もうとしていた直前のコルトレーンとがっぷり四つ、リズム隊はウィントン・ケリー、ポールチェンバース、ジミー・コブというハードバップ音楽隊。ほんの半年ほど前に、かの泣く子も黙る「SOMETHI' ELSE」をマイルスのチビシーリードのもとで世に出した二人の、チビシー人のいないのびのびとしたプレイを聴くことが出来ます。コルトレーンの曲を2曲もフィーチャーしたこのアルバム。もしかしてアダレイはコルトレーンと組みたかったのかしらんと下種のかんぐりもしてしまいます。2曲目の「アラバマに星落ちて」はキャノンボールお得意の流れるようなアルトの好プレイ。ルーズ・バップ(?)の名演をお探しの方に。

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