2005.11.07

COLUMN

「今更ながら、アナログとデジタル」

CIRCLE WALTZ by Don Friedman Trio (1962)

随分と秋模様になってきました。街路樹もいつの間にか色づき始め、道には木の葉がちらほら。いい季節になってきました。月曜日は、いつものように社内清掃に朝礼、そして運営会議。元気がなくて枯れ始めていた観葉植物も、先々週の植え替えですっかり元気になったようです。午前中は事務処理をして、午後はシステム納品立会いと次案件の現状調査。戻って来客応対やらシステム案件の社内調整をして、夕方から某所で秘密ミーティングを3時間。同床異夢にならないよう、しっかりとした骨子が必要ですね。「目的はパリ、目標はフランス軍」ですか。そうこうしながら、いつもながらではありますが、あっという間の週の始まりです。

先日、携帯電話の電池のことをブログに書いたら、今日とあるお客様から電池をいただけるとのメールを頂戴しました。お客様にこのブログを読んでいただき、その上お気遣いまでいただき、感謝感激です。ありがたいことです。

さて、20世紀終わりまで、特に第2次大戦の頃までは、菜食主義とは言わないまでも、自給自足でその日に畑で取れたものを食べるような、そんな時代でした。貧しかったけれど、今にして思えば「古き良き時代」。ところが20世紀後半から経済主義が台頭してくると、全てのものに効率が求められるようになりました。そして世紀末には情報化時代がやってきます。身の回りのさまざまなものが「情報」という価値変換を強いられ、情報という無形のものが貨幣価値を持ち、また(このブログも含め)かつては考えられないほどの情報の氾濫に、「人族」はそれを学習することなく消費することで生命のバランスを取るようになります。ファーストフードの時代です。サプリメントやら健康食品、一方でBSEやらO-157。どこに向かっている故、そんなに急ぐ必要があるのでしょうか?

なぜこんなことを思ったかというと、昨日クラシックのコンサートに言って、私などあっというまの70分だと思ったのに、あちこちで「長かったー」という感想を聞いたからです。もちろん第九が4楽章で74分ということは、通の方ならご存知のはず。(カラヤンの陰謀説まである)自称、ある現代音楽の編曲家のブログを読んでいると、(以下引用)


「それにしても無駄に長い曲です。聴きながら、「ここをばっさりカットして」「こことここをつないで」「合唱パートをこうまとめて」・・・などと、ベートーヴェンの曲を、頭の中で勝手に編集。おかげで飽きずにすみました。で、トータル15〜20分くらいにすると、21世紀に生きる我々にとっても名曲として再生できるんじゃないかと思います。現在のままではあまりにもハッタリ(それがベートーヴェンの個性の一つではありますが)が多すぎて、ちょっと・・・ただ、そのハッタリのせいで、それほど卓越した演奏でなくても、大した曲に聞こえるという“メリット”がある事は確かです。そこがプロ・アマ問わず多くのオーケストラがこの曲を取り上げる一因となっているのかもしれませんね。」


通の方は、大人として笑って済ませてください。私自身も、別にこの方の考え方、感じ方を否定するものでは全くありません。ただ、21世紀を生きる全ての人々がこのような方向に向かったとしたら、私たちが有史以来(ゆっくりと、まったりと)積み上げてきた歴史や文化を、キー操作ひとつでデリートしてしまっても、私たちは後悔しないのでしょうか?

「無駄の効用」ということわざがあります。無駄とは、ダイヤモンドの狭間にあって、ダイヤモンドをより輝かせるものでしょう。私たちは生まれてこの方、数え切れないほどの呼吸や鼓動をしたはずですが、そのうちのどれが必要なもので、どれが不要なものだったでしょうか?生き物とはそもそも、そうやって生を受け、死を迎えるものではないでしょうか?せめて、映画「八日目」をご覧になってください。

今夜は、ドン・フリードマンの「サークル・ワルツ」です。耽美派の個性的ピアニスト、ビル・エバンスの後継者あるいは好敵手と騒がれた彼の、2作目のアルバムです。確かに、エバンス・フォーマットの演奏は、深夜に仕事でもしながら聞くには最高のJAZZです。ベースは、エバンスとの共演もあるチャック・イスラエル。しかし、この後、彼は2作品のリーダアルバムを残して、シーンから消えてしまいます。といっても、どこかのテナー吹きのように雲隠れしたわけではなく、70年代のアメリカJAZZシーンの厳しさゆえだったのかもしれません。エバンス好きのJAZZファンに、あるいはちょっとおしゃれな本格派を聞きたい方に。

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