2005.12.15

COLUMN

「尊きもの、自然」

SUMMER by George Winston (1991)

久しぶりの投稿になってしまいました。今週は、時期的に業務のピークを迎えたお得意先様を昼夜を問わずサポートしてまして、夜半過ぎまで待機、昼から出社などという不規則な生活をしてました。今日は一息ついて、企画書作成やら知人を訪問やらで、ちょっと息抜きの一日。おいしい明太子をありがとう!夜には営業会議をびしびしと。「わんだーみっくす」には30日まで年末はやってきません。といいつつも、明日は忘年会らしいのですが・・・私は午前中から県外出張に行ってきます。

思えばネットの世界には、季節感やシーズンという感覚は希薄です。ですからGoogleのTOPに季節感あるロゴマークが表示されると、なんだかすごく微笑ましく思ってしまう。もちろんSHOPを運営している方などは、販売する商品は季節ごとに入れ替わりはしますが、情報発信という意味では昼夜の概念も季節感も、どんどん希薄になってゆくのでしょうねぇ。せめてリアルな生活の中では、四季折々の風情を喜び、また先人たちが残してくれた季節を愛でる行事などをちゃんと過し、日本という四季のめぐる美しい国に生まれ暮らしていることを、心と体にしっかりと刻み込んで暮らしてゆきたいものです。子供たちには、正月はテレビゲームではなく、凧揚げや羽子板をさせましょう!

今夜はジョージ・ウィンストンの「SUMMER」です。季節感を大切にしようといいつつ、まことにもって不適当なセレクトになってしまいました。まあ、雪のちらつくこの季節に、過ぎ去った夏の記憶を思い出し、まぶしい空や輝く波間をまぶたに浮かべるのも一興かと・・・(苦しいコメントです)このアルバムは、「オータム」「ウィンター・イントゥ・スプリング」とともに、彼のモンタナ3部作といわれる作品のひとつで、JAZZというよりも今で言うヒーリング・ミュージックです。基本的には穏やかな夏の風景を音楽にした、彼のピアノ・ソロなのですが、季節感よりも私は、このアルバムを聞くと、故郷の大河「吉野川」を思い出します。子供の頃は清く済んだせせらぎの脇で、よく釣りや川遊びをしたものですが、今から30年ほど前に水資源開発という名目で構築された「池田ダム」の影響で今はすっかり澱んだ川と成り果ててしまい、いまやその頃の面影はありません。確かに私たちは「文明」という御旗のもとにより便利な生活を求め、また自然を有効利用しなければならないとは思うのですが、「吉野川河口堰」の問題とか「諫早湾干拓」と同様、このダムができたことで、もう2度と元には戻すことのできないかつての「自然」のことも、やはりしっかりと考えなければならないでしょう。個人的にはとても悲しい出来事です。あの清いせせらぎは、いまはもうメロディと記憶の中にしか存在していないのです。アルバムのほうは、穏やかな休日の穏やかな暮らしのBGMに。

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