2006.04.04

COLUMN

「雨に日に、もの思う」

BREATHLESS by Kenny G (1992)

火曜日になりました。今日は午後から雨。某市民球場での頂上対決(?)も中止になりました。昔は雨が大嫌いでした。雨降りでいいことは、道路がきれいになることと、レコード(!)に埃がつきにくいことくらいでした。本当に嫌いでした。でも、歳をとったせいか、最近めっぽう好きになってます。移ろう季節が雨と共にやってきて、過ぎ去ってゆくのがわかる。雨が上がると、次の季節を感じることってありますよね? それに、最近とみに思うことは、「雨は優しい」ということ。うれしくて仕方がないときや、元気一杯の時には、晴れだろうが雨だろうが一向に関係ないのですが、ちょっと元気がなくなったり、悲しいことがあったりする日は、雨に、雨の音にほんのりとした優しさを感じてしまいます。って、これって結構私がかわいそうな人だってことなのでしょうか? またまたトホホな発言のような気もします。

世の中には本当に饒舌な人がいます。私もどちらかといえばよく喋るという印象を持っておられる方も多いでしょう。でも、結構無口な時もあるのです。どっちかといえば両方ではないかと思うのです。講師なんぞをしていると、喋ってなんぼの時もあります。また、自信がないときにはついつい饒舌になってしまうこともあります。好きなことの話になると、夢中になって喋ってしまうこともあります。でも、人と話すのがいやな時もあります。(誰でもか・・・)

幼少の頃は相当の目立ちたがりやさんだったし、よく喋っていましたが、一時、人と話すのが極端に嫌いになったときがあります。自分は研究者肌なんだな、なんて妙に納得したりして。今、仕事でパソコンに向かうことが多い。まあ、業界の中ではまだまだ鉛筆なめなめしているほうだと思いますが、メールとかこんなブログとか、キーボードを叩くことでいろんなことを伝えることが出来る。最近だと電話のはずの携帯で文字まで読む始末。でも大切なことはやはり、相手の目を見て話さなければ、相手の心には届かないですよね? そうは思いませんか? たとえ言葉少なくても、言葉足らずでも、相手に伝えることが出来る手段。「思い」や「こころ」、「志」や「情熱」は、文字で伝えるものではないような、そんな気がした春雨の一日でした。

今夜は優しい雨に優しい音を。柄にもなく、Kenny Gの「BREATHLESS」です。いつもの調子だと、ちょっと気恥ずかしいセレクトですが・・・「ケニーGはJAZZですか?」と聞かれると、「いえ、フュージョンです」と答えざるを得ないのですが、じゃあJAZZだから聞く、クラシックだから聞かないなんて、あまりにも悲しいですよねぇ(と、自己弁護)いいじゃないですか、ハートに届けば・・・音楽は頭で聴くものではなく、心に響いて体中に伝わるものですよね! (多分・・・)で、ケニーGです。全編、彼のソプラノサックスのメローな音がぎっしり、いや、次々と流れ出します。5曲目の「BY THE TIME THIS NIGHT IN OVER」にはピーボ・ブライソン、9曲目の「EVEN IF MY HEART WOULD BREAK」ではアーロン・ネヴィルがボーカルで参加。また、デビッド・フォスターがアレンジで参加しており、お洒落度も満点です。ドライビングBGMにもいいのですが、春の柔らかい雨の日に、おうちの中で時折聞こえる車の水跳ねの音などと一緒に、部屋中に流すのも一興かと。最近、心のビタミン(=ロマンティック)が少し足りない方にも・・・

brethless.jpg

ここで視聴できますよ!

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