2006.08.03

CLASSICS

「教え導くと言うこと」

ブラームス 弦楽六重奏曲 第一番 変ロ長調 作品18 (1860)

木曜日。午前中は、チーフ以上計6名で企画運営会議、今期の実施計画のすりあわせです。厳しい話もばんばん出ましたが、役職者がみんな危機意識を持っている証拠。その意見を、逆に全員がいかにポジティブな行動に変え、結果に結び付けてゆくか。それがまさしく「私たちの仕事」なのです。来期からはもう少し早い時期にまとめるようにしなければ・・・昼ごろには某専門学校の先生・生徒さん約40名が職場見学にいらっしゃいました。普段は見慣れた連中しかいない社内が、初々しい若者たちで一杯。若さも熱気も一杯。いやはや、いかに我々おじさんたちの薄汚れてけがれている事か・・・(笑)実は、うちの社員の約3割(3人)がそこの卒業生なのです。みんな紹介してあげたのに、先輩面せずかしこまっている。なかかなうちの社員も、かわいいものです。いつの間に擦れてしまうのでしょうか???午後からは予定を変更させていただき、ファイアコールを受けてのお得意様を訪問。トラブルは一瞬で解決し、その後打合せをさせていただいて帰社。営業ブリーフィングを終えて、今日の仕事も終わりです。

今日は、若い方々が沢山着ましたし、運営会議で社内の指導教育の話も出たので、こんなことわざを。

「ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える。」

今日も中国の古いことわざです。与えるものは「魚そのもの」ではなく、「魚の取り方」であるべきだということ。そしてもっと言えば、魚の習性とかを教えて、その「取り方を考えさせる、工夫させる」ことも、人の自立的な成長を促すにはいいのではないでしょうか? もちろん、「じゃあダイナマイトで爆破すればいい!」なんていうとんでもない結論になってしまっていないか、ちゃんとフォローしてやることが大事ですよね。そこまでやって、習得や成長を見届けて、初めて「人に教える」と言うことになるのでしょう。ただ「やっとけー!」では、「放任主義」ではなく、主義なき「無責任」ですから。えっ? 魚の取り方なら、漁師さんに聞け? 確かに・・・宮本さん、教えてください! いやはや、トホホです。

相も変わらず暑い日が続いています。夕立とかほしいですよね。なもんで、今夜も静かにクラシックに浸ります。今夜はブラームスの弦楽六重奏曲の第一番です。今夜の演奏は、アマデウス弦楽四重奏団(+2)。室内楽の基本は、4声体和声に象徴される近代の作曲法では四重奏が不文律とされ、ブラームスも3曲ほど作っています。が、当時20代だった彼は、響きにより厚みや深さを求めてチェロとヴィオラをもう一台ずつ加えた六重奏曲を作曲します。

チェロによる第一楽章の主題が、ヴィオラのさざなみの中を静かにやってきます。続く第二楽章はブラームスお得意の変奏曲。いかにも彼らしい、生命の鼓動の中に宿る悲哀を感じさせる主題がヴィオラで奏でられます。そして4つの変奏を経て再び主題がチェロによって回想されます。第3楽章スケルツォを経て、終楽章第四楽章。最後にチェロで演じられる主題は、まさしくグラツィオーソ(優美)。さまざまな音と混ざり合いながら、時に激しく、時に穏やかに演じられる様は、私たちの人生の縮図のようです。真夏の蒸せ返る夜に、ブラームスはいかがですか? おっとその前に、「ブラームスはお好き?」。

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