2006.08.09

CLASSICS

「君は若くして、習慣という老いに埋没するのか?」

ジュゼッペ・ヴェルディ 歌劇「アイーダ」(1871)

水曜日になりました。朝からお得意先様を訪問させていただきました。大型のサイト案件を御用命いただきました。ありがとうございました。「WEB2.0」など最近のWebの動向など、いろいろなお話もさせていただきました。また別のお客様から、これも大型の案件を御用命いただきました。ベスト・オブ・ワンダーミックスでお応えいたします、よろしくお願いいたします。午後からは、御用命いただいた案件の引継ぎのための資料整理やら、別の案件のお客様訪問に向けての書類作成などなど。企画が命です。お得意先から戻ったディレクターを交えて、今日御依頼いただいた案件のキックオフ・ミーティングを実施。その後、その名の通り短い営業ブリーフィング。夜は、Web講習に出かけました。今日は2日目ということで、受講生の皆さん緊張もほぐれ、和気あいあいの中で2時間半。お疲れ様でした。私はとりあえず、疲れました。トホホです。

「習慣は、最高の召使いか最悪の主人のいずれかである。」

ナサニエル・エモンズの言葉です。毎日毎日が同じようなことの繰り返しだと、ついつい人は意識もせず、それを習慣として頭の隅っこに格納してしまいます。すると同じことを淡々とこなしている間は、それは最高の召使として機能します。粛々と事が運びます。しかし、それは「召使」にしか過ぎません。決して優秀な「執事」ではないのです。あなたを刺激することも鼓舞することもありません。あるいは、その習慣の毒牙にかかると、そこから出て、新しいことやより高みのこと、より苦労を背負い込むことに対して、拒絶反応を起こしてしまいます。もしくは無気力・無関心というかすみ霞があなたの周りを取り囲み、あなたの意思や自由を奪ってしまいます。あなたはいつの間にか習慣という名の主(あるじ)に仕えるただの奴隷に成り下がってしまうのです。これは、どんなに勤勉な努力家でも簡単に陥ってしまう、ありがちな日常の罠なのです。

どうすれば、この悪しき習慣から逃れることが出来るのか。鍵は一日の始まり、朝の瞬間にあるような気がします。朝、出社する。見慣れた社内、見慣れた仕事仲間、見慣れたデスク・・・でも、「今日はこんな自分でいよう。こんなことをこれだけやろう。昨日の自分を見返してやろう。」そうして仕事に向かう。そうすれば取るに足りないことだけが習慣となり、無駄を省き時間を節約し、そして創造的で刺激に溢れ、日々成長と進化を遂げることが出来るのではないでしょうか? 明日の朝も、今日と同じように夜が明け、太陽が昇ります。その日が昨日と同じだと思うか、新しい一日が始まったと捉えることが出来るか・・・一日がたとえ1cmの差でしかないとしても、365個の朝日を過ごせば、その差は4m近くになるのです。さあ社員諸君、明日を新しい一日として迎えましょう!

さて、マイルスはもう終わったのかと言うお問い合わせをいただきました。いえ、この暑さのためお休みしています。まだまだ半分も行ってませんし・・・で、今夜は、トリニダード・トバゴ代表を破ったオシムJAPANの勝利を祝して、ヴェルディのオペラ、アイーダです。オペラとは音楽芝居ですからまずは見ながら聴くものですが、ストーリーを理解していれば聞くだけでも、その味わいを十分堪能できます。まあ、ワインなら香りだけでなく、喉を潤したいものですが・・・

ヴェルディのオペラは大体その構図が一定でして、おばかな夢想家の主人公テノールに現実的で逞しいヒロインのソプラノ、バリトンの親族って感じなのですが、このオペラもその例に漏れずです。内容はさておき、サッカーサポーター御用達のあの一節は第2幕第2場の「凱旋行進曲」、エチオピアとの戦いに勝利したエジプトの兵士たちが国王の前を凱旋してゆく場面で流れます。

ラメダスは謳います。

清らかなアイーダよ、神の御姿よ、
光と花の神々しい冠よ。
そなたは我が想いの女王、
そなたは我が命の輝き・・・

一方、父と恋人の宿命の下で揺れ動くアイーダは、

父上の、恋人の、清いお名前を目にしても、
思い出してもいけないなんて。
この方のため・・・あの方のため・・・わからない、恐ろしい。
泣きたい、祈りたい。
でもわたしの祈りは呪いに変わってしまう・・・
私には涙は罪、ため息は科・・・

今夜はリッチャレッリのアイーダ、ドミンゴのラメダス、アバド指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団でお送りしました・・・してない? 買ってください、聴いてください。オペラです、秋です、夏です、真夏でした。確実にトホホでした。

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