2006.10.23

COLUMN

「せいたか泡立ち草」

10月最終週になりました。いつもの月曜の慣例どおり社内清掃に朝礼、運営会議。最近、運営会議が若干迷走気味だったのですが、今日から少し軌道修正して本来の目的を志向へ。各チーフの掌握状況は満足のいくものですが、管理とはコントロールですから。そこんとこよろしくです! 午後からは数件のお客様を訪問させていただきました。夜はWeb講習へ。今やってるオーサリングソフトの講習も残すところ今日だけ。前回に引き続きTIPS話と後半は自習に全般の質疑応答。午後10時前に帰宅と相成りました。

最近、移動中の道すがら目にするのは、満開の「せいたか泡立ち草」です。「せいたか泡立ち草」といえば「八神順子」。「八神順子」といえば、パープルタウンでのレイ・ケネディとの盗作騒ぎ・・・と、どんどんコアなネタになってしまいますねぇ。彼女を知る人は相当年配の方でしょう。歳がわかる???彼女は確か、ヤマハの「ポプコン」出身です。ポプコンといえば、高校時代でフォークソングにはおさらばし、ちょっぴり大人の大学生にとJAZZを本格的に聞き始めた矢先、ラジオでポプコン全国大会を聞いて、逆に下手な歌の作詞・作曲を始めたことを思い出しました。いやいや、つまらない詩を単純なコード進行にのせただけの習作ばかりでしたが・・・そういえば新谷君、元気でやってますか?

そんな個人的な話題をよそに、季節は確実に移り変わってゆきます。ふと気がつくと過ぎ去ってしまっている時の流れ。「体の傷は消えないけれど、心の傷は僕が癒してあげるよ、優しさで・・・」なんてふざけた歌がありましたが、心の傷は時が癒してくれもします。しかし、その「時の流れ」は、確実に動物である人間の肉体から若さを奪い取ってゆき、傷や故障は完全には治癒することもなく、まるで山あいに残された1軒の空き屋のように、私たちの体は少しずつ、でも確実に朽ちてゆきます。それはこの世に生まれた以上避けられないこと。まさしく受け入れなければならない「運命」です。せめて、ただ哀れに朽ちてゆくのではなく、儚さの中にもほんの少しの「移りゆく美しさ」を垣間見せてほしい。入院中の父に、その言葉を贈ります。明日は休暇をとって帰郷いたします。

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