2006.12.09

COLUMN

「あらためて、心技体を思う」

週末になりました。昨日は朝からお得意様を訪問。午後からはサポート1件を速攻で終わらせ、とあるお客様を訪問。ネットワークから企業経営、地産地消に地球環境問題、業界話に宮里愛などなど。結局帰社したのは午前様となりました。所要時間、なんと10時間弱。途中、本当に妙なるご縁でお役所の方ともお会いできました。本当に「縁」とは不思議なものです。どうかよろしくお願いいたします。

以前、とあるお得意さまのところで自社の紹介をプレゼンテーションするのに、「心技体」という切り口で紹介させていただいたことがありました。弊社はこんな心意気で仕事をしています、こんな技術を保有しこんな技術に挑戦しています、そしてこんなメンバーで「体」としてやってますといった内容でした。昨日お客様とお話をしていて、ひょんなことでお客様から出た言葉がこの「心技体」でした。

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先般のプレゼの席では「相撲の話ですか?」と質問されてしまいましたが、そもそもこの「心技体」というのは、日本古来の武道の根幹を成す考え方で、「心磨技練体斉」つまり精神を磨き、技術を訓練し、身体を鍛えなさいということです。ただ単に精神力だけではダメ、技術力だけでもダメ、もちろん体力だけでもダメ、これらの三つの力がバランス良く整って初めて目的を達成するできると言うことだと思います。

明治以降、柔道や剣道などが西欧で受け入れられたのは、それらが単に体を鍛えることだけを目的にしているのではなく、(イラク戦争とは言いませんが)つまりは力でねじ伏せて戦いに勝つことだけが目的ではなく、人としてのありようを高めてゆくプロセスであったからではないでしょうか?

仏教の教えにも「三密」(身密・口密・意密)というのがあります。身口意(しんくい)の三つの道筋から仏の悟りを開こうとするもので、

体=座禅を組んだり時には苦行を行い(身密)
技=口で念仏を唱えて(口密)
心=ひたすら信心を持つ(意密)

ということなのです。これも心技体の違った表現に他なりません。

まあ、心技体だけが人としてのありようのバランス指標ではありませんが、日本人としてのアイデンティティを考えるとき、この「武道の精神」、西洋で言えば「騎士道」みたいなものって、とても大切な気がするのは私だけでしょうか?戦いが日常茶飯事、あるいは「いざ鎌倉」の臨戦態勢でもない平和な現代だからといって、「こころ」だけを取り上げても人はその存在としてバランスを崩し、いつかは倒れてしまうような気がするのですが・・・。

私ですか・・・

心(意密)=音楽とか絵画鑑賞に親しんでます!?
技(口密)=えーっと、私の技術ってなんだっけ?
体(身密)=筋トレしてます、大胸筋だけ・・・

えーっと、悟りは遠いなぁ〜。がんばります、はい、トホホです。

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