2007.01.16

COLUMN

「自己肯定と目指すべき道」

昨日は午前中は県外出張でお仕事、午後からはお休みをさせていただいておりました。観光地めぐりなんかだといいのですが、決してそうではありません。午前中は新規サイトの企画に関する打ち合わせ。たくさんのいろんなアイデアが出てまいりました。これらのご要望をいかにサイトとしてまとめてゆくか、苦しくもあり楽しいプロセスです。というか、ある意味我々の肝の部分なのですが・・・今日も、午後から県外出張して企画に関する打ち合わせ、あわただしい毎日が続いています。

週末、「風林火山」第2話でした。勘助は三河大林家に戻りますが、厳しい現実を目の当たりにし、大林の姓を捨て山本勘助を名乗って生まれ故郷の駿河に向かいます。しかし兄の主君である福島越前守の策謀に巻き込まれ、再び甲斐の葛笠村に舞い戻ります。方や武田家では武田信虎と晴信(信玄)との父子の軋轢がくすぶり始めます。さーて、次回はいよいよ勘助が武田家に接近することになりますなぁ。楽しみです。

で、今日は上杉謙信公家16か条のその4。

「心に私なき時は疑うことなし。」

人に接するときは私利私欲を捨て、「無」の心持ちで接することが肝要だということでしょうか?諺には常に反対の意味を持つものがあり、たとえば「備えあれば憂いなし」などは広義の意味では逆説になるかもしれません。ただごくごく狭義に捉えると、本当に自分のことしか考えていないという「私利私欲」は、害となることが多いものです。

しかし逆に、もう少し視野を広げて考えると、最近の人の心の問題では「自己肯定の弱さ」を指摘する声が多いのも事実です。「私利私欲」も含めてしっかりと自己を見つめ、それを正しく把握し肯定しつつ、誤った「私利私欲」に陥らない。高度な思慮分別を要する難しいことですが、とてつもなく大きな力で覆いかぶさってくる「市場原理主義」の暗雲のなかで自らを見失わないためには、心とどめなければならないことでしょう。

正しい自己肯定、それは「人に語ることの出来る夢」でもあるのでしょうか?この歳ではありますが、私の夢は人に語るにはまだ幼すぎるようです。がんばります。

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