2007.03.01

COLUMN

「人類の進歩と調和」

今日から3月。気象庁の区分ではいよいよ「春」になります。少し冷たいけれど、外は穏やかな「春うらら」。今日は、久しぶりに全く予定の無い一日です。もちろん、朝から机に座って、いや机の前であれこれ仕事はしてますが・・・。午前中にはお得意様の社長様が来社。自ら現場主義を実践されておられるのを見て、「ああ、見習わなければ・・・」のフィードバック・トホホ振りです。別のお得意様からも、いろいろと示唆にとんだお話をいただきました。常に襟をただし、自ら信ずる道を目指し、しかもその歩をやすむることなく進める事。まだまだ、ひよっこです。今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。

さて、知人が興味深いコメントをブログに書いていたので、私もこの話題に投稿します。テロがますます悪化するイラク情勢。先日はチェイニー副大統領を狙ったテロも起こったようです。イスラムの教え「ジハード」の実践だと彼らは言います。その言葉を鵜呑みにすると、私たち無宗教に近い日本人からすれば、「イスラム教」とはなんと過激な、自己愛のみに高まる暴力的な宗教なのかと思ってしまいます。

ところが、イスラム教自体は、その啓展クルアーンに「他の啓典の民(キリスト教徒・ユダヤ教徒)に対して、礼儀正しく、敬意を払わなければならない」とされています。「ジハード」とは一般に「聖戦」と訳されたりしていますが、そもそもこの言葉はアラビア語で「ある目標をめざした奮闘、努力」を意味するといわれています。つまり、「目的」と「手段」が混同して取られてしまっているわけですよね。

一件、宗教上の戦いに見えるものの裏に、「経済的な不平等」が根ざしているのではないかと言う見方があります。私の友人のオピニオンもそうでした。もちろんあると思います。ただ、その一面だけで捕らえることは、「不都合な真実」を前副大統領として世に出したゴアさんの住むアメリカを、盲目的に正当化してしまう話になってしまわないでしょうか?

「人類の進歩と調和」。かつて30数年前に大阪で行われた万国博覧会、通称 「エキスポ'70」のテーマです。「1970年のコンニチハ」です。開幕してみると、延々長蛇の列で、迷子と迷い人が続出、毎日どこかで事件事故が起き、食堂はどこも高くてしかも超満員。ということで、「人類の忍耐と疲労」あるいは「残酷博」と言われもしたあれです。まあそんなことはさておき、この「人類の進歩と調和」と言う言葉は、よくよく考えるとすばらしい表現ではないかと思うのです。(電通さんか博報堂さんかは知りませんが・・・)

格差社会の是正については、政府も取り組んでいるようですが、「平等」という概念は、国のあるいは人類の目指すべきひとつの真理だと思います。ただ、それと引き換えに、科学技術や文化の進歩が止まってしまうことは避けるべきではないでしょうか?「今、そこにある危機」ともいえる「地球温暖化」を食い止めるためにも、更なる科学技術の進歩と、人の暮らし方の成熟が求められます。先進国として立ち止まり、途上国を牽制するのではなく、地球のリーダーとして進むべき道を指し示し、自ら粛々とその道を歩むことが必要でしょう。

そんなことを考えると、いまから40年も前のこの「人類の進歩と調和」というのは、今こそ必要なメッセージのような気がしてならないのです。そして、「人類なんて、俺には関係ない」ではなく、結局は「人類そのもの」である「個」がどう進歩し、なにを調和させるべきなのか・・・。それを明確に提示することが今、家庭の、企業の、団体の、組織の、自治体の、政府の、すべてのリーダーに求められていると思います。

どこかの自治体で、「自転車で町おこし」をやると聞きました。?????敢えてそのことに関して言えば、必要なことは「移動手段である自転車と街の賑わいの調和」ではないでしょうか?邪魔者を逆手にとった「逆転の発想」ですか?某市の「大街道」のすばらしさをご覧になってください。えらそうにいってる私ですが・・・えーっと、皆さん、事務所の暖房は26度で・・・。

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