2007.03.08

COLUMN

「働くということ」

私は社会人になって30年近く(30年にはなっていません!)になります。これは言い換えれば、学生ではなく専業で朝から晩まで働き、提供した労働の対価として賃金を支給され、これによって自らの生計を立てる、また国民・消費者として納税をし、さまざまに庇護を受けている社会に対して還元する立場になって30年近くになるということです。まあ、単純に「30年近く働いてきた」と言うことです。

若い方に、「働くことの意味」や「意義」と聞かれると答えに窮してしまいます。「自己実現のため」なんて言えばかっこいいのですが、実現すべき自分の姿が、「億万長者」とかだとちょっと意味が違ってくるような気がします。だって誰でも「億万長者」にはなりたいですからねぇ。そういう単純明快な目標ではなく、どうしても「自分らしく生きること」みたいな、観念的なお話になってしまいます。

「私にとって自分らしく生きると言うことは、仕事をしないで自由にいること!」

またまたそう言われると、答えに窮してしまいます。私の言う実態感のない、現実味のない目的のために、日々の辛さを克服すること?いえこれこそが、人が生きる、暮らすということではないかと思うのですが、そんな話になるとこれまた宗教ですかねぇ〜。

私にとっての数十年間は楽しいこと、愉快なこと、感激したことももちろんたくさんありましたが、残りの多くの時間は苦しみや悲しみ、憤り、そして残りは怠惰にあふれたものだったような気がします。しかし、もし数十年前の学卒の頃から比べて、今の私が何がしか人として成長を遂げているとすれば、あるいは社会の中での存在意義や1億分の一の価値を蓄積できているとしたら、そのほとんどは趣味や余暇を通してではなく、「仕事」を通して沢山の方々に導かれ鍛えられ、また自ら手に入れたものであると思います。

これが私流「働くこと」の意義であり、価値だと思うのです。もし、この数十年間、働かずに生きてくることが出来たとしても、私は今よりずっと矮小でつまらない人間だったはず。今となって後悔するはず。そう思うのです。

ある人との問答。

「働いて体を壊して、医者代を払うために働いているようなものです。」
「いや、生きていれば病気にもなる。そのために働き稼ぐのでは?」

さてさて、皆さんはどう思われますか?

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