2007.03.20

Books

「武士道」

新渡戸稲造の名著「武士道」を読みました。「武士道」の著書としては座右の書。実はひそかに日本人としてのアイデンティティを探り当てることが出来るのではとか、これからの自分の寄って立つよりどころのヒントとなるかもしれないという思いがあって・・・。折りしもテレビでは「風林火山」という、戦国時代なる下克上の時代、また私たち日本人の「国」という概念と「国民」としての人格の形成期の武士たちの心情を語る物語もやっているし。

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決して厚い本ではないのですが、言い回しが難しくてなかなか進まない。「なんとかにあらざれば、それもまた良かれと欲し・・・」なんて書いてるから、肯定やら否定やら、判断しながらの読書でした。

で、とりあえず読み終わったのですがどうもすっきりしない。で、そのあと別の一冊を読みました。菅野覚明著「武士道の逆襲」。これはかの三島由紀夫が座右の書とした、佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝が、武士における覚悟を説いた修養の書「葉隠」などをベースに、新渡戸らの「明治武士道」をある意味否定した本であり、つまり戦国武士による「武士道」の逆襲という本でした。

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これを読んだあと、あらためて新渡戸の武士道を読み返すと、新渡戸の語る「武士道」に対し、そもそも武士が武士として生きていた時代、つまり江戸太平の時代ではなく、武士たちが生き生きと戦い死んでいった時代の武士との違いがはっきりと見えてきました。私の感じた武士の本質とは、山本勘助を見て感じる血なまぐさく荒々しい、刀という殺傷の武器を常に携帯した「常時戦闘者としての武士の論理」なのです。

新渡戸の時代、日本は鎖国を解いて世界列強と肩を並べるべく努力し、また海外に向けてもその広報を行っていました。彼の思いは、折りしも日清戦争に勝利し、それが単なるアジアの片隅での民族闘争なのではなく、欧米と肩を並べるべき日本と日本人のアイデンティティの確立だったわけです。自らキリスト教徒でありながら白人から当然の如く差別を受けた彼は、日本の長い歴史から日本人の優勢を形作り、その骨子にかつての(!)武士たちの信念を据えて、その言わんとするところイエスの教えに比するものであり、それゆえ過去2000年近くにわたり、キリスト教を持ちえずして我が日本人はすでに西洋各国と並び置かれるべき民族であると言う主張にありました。

どちらかと言えば歴史を紐解いた自己弁護に近かった彼の武士道は、しかし後の時代が勝手に利用し、歪曲し、その信条は偏ったイデオロギーを支える「忠君愛国」や「挙国一致」に置き換えられていったのです。そしてその後、日本がどこに向かっていったかは、みなさん御存知の通りです。

さてさて、「武士道」とは?あるいは、日本人のアイデンティティとしての「武士道」なるものとはいかなるものなのか?それは次回「武士道の逆襲」を通してお話いたします。

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