熟田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎいでな 額田王
2007年5月16日 09:35 | 万葉の旅 | コメント(4)
第37代斉明天皇が新羅を討たんと九州を訪れる途中、伊豫の熟田津(現在の御幸寺山付近)に滞在した際に、額田王が読んだ歌です。「船出の時を待っていれば、明月に潮も満ち、さあ漕ぎ出そう」という意味。
額田王はもちろん女性なのですが、この歌が力強く感じるのは、同じく女性である斉明天皇(重祚前は皇極天皇)に対して、同性としてエールを送る意味があったのでしょうか?あるいは、新羅討伐に対する天皇の心持ちを代弁したのかもしれません。月光に輝く瀬戸内の海に出航しようとする様が、ありありと目に浮かびます。









「万葉集」はほとんど読んだことがないのですが、「古事記」「日本書紀」「古今和歌集」とこの4つは生きているうちに制覇したいと思っています。
「熟田津」は御幸寺(みきじ)山の他に、道後温泉説や、和気町・堀江町の説もあるそうです。おおまかに松山あたりの津で、温泉があるから「熟」の字があるのかもしれませんね。この歌の注釈には、「天皇大后、伊予の湯の宮に幸(いでま)す。」<※大后は後の斉明天皇>「熟田津の石湯(いはゆ)行宮(かりみや)に泊(ほ)つ。」ともあります。
で、結局この歌も王の作ではなく、天皇の作だと言われているとか....伝説だらけの文学だけに、諸説入り乱れてますね〜。
そうですね、実際、血判押しててもその人のものかどうかは定かではありませんから・・・。まあ、そんなことはさておき、「ニホンゴ」(古語?)の響きを楽しみたいと思っております。
日本書紀によると斉明天皇の御製とありますね。
作らせ、歌わせたのは天皇でしょうから、その意味では斉明天皇の御製で良いのでしょうね。
> hiroさん
こんにちは。
山上憶良によると、斉明天皇が舒明天皇を偲んで作ったと言う説もあるようですね。
真偽のほどはわかりませんが、どちらにしても女性らしいしなやかさと力強さも感じる、素晴らしい歌だと思います。