「川中島の戦い」

2007年8月 2日 18:33 | Books

木曜日です。嵐が近づいています。午前中は例の講習。皆さん、真剣に受講されていて緊張感に包まれた3時間。いつもの親父ギャグ節は鳴りを潜めたまま・・・。明日で第一クールが終ります。午後からは来客やらデスクワークやら。嵐が近づいているので、夜の同友会の集まりは延期となりました。

先日読んだ本、吉川英治著「上杉謙信」。かの有名な(第4次)川中島の戦いを中心に、謙信の人となりが描かれています。なによりも、その合戦の模様がすごい。とにかく、両軍合わせて6千とも8千とも言われる戦死者を、たった一日で出してしまったとてつもない戦です。

上杉謙信 (吉川英治歴史時代文庫)
吉川 英治

おすすめ平均:5
4龍虎つぶしあい
5爽やかです
5川中島の駆け引きが面白い

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何故、この長野の地で、山梨の武田信玄と新潟の上杉謙信が激突することになったのか?武田は甲裴国(山梨)を平定後、取りまとめ役の武将のいない信濃国(長野)を攻め、領土拡大を図っていました。一方、関東管領上杉家に仕える越後守護代長尾家に生まれた景虎は、1561年山内上杉氏の家督と関東管領職を相続、その名を上杉政虎と改めました。そして、武田信玄に攻め追われ、越後に逃れてきた村上義清の支援願いを関東管領として受け、信濃奪還を目指します。こうして北上する武田軍と南下する上杉軍は、1553年から1564年の12年間に計5回の戦いを川中島の地で行ったのです。

その中でも最大の戦いが、第4回の1561年のこの合戦。以前、このサイトでも紹介した、謙信が馬上から信玄に切りかかるというあれです。実際、二人が面突きで戦ったかどうかは定かではありませんが、陣幕の中で戦況を見守っていた信玄に対し、謙信は前線に出て戦っていたのは事実のようです。

そして、この戦いでは多くの兵士と共に、信玄側は実の弟である武田信繁、諸角虎定らの家臣とともに、かの山本勘助も討死します。(はい、「風林火山」終了!)

謙信布陣から3週間、信玄布陣から2週間あまりたった9月9日夜半、信玄は勘助の練った「啄木鳥戦法」で動きます。(この戦法については「その時歴史が動いた」で実行不可能性を検証していましたが・・・)それを察した謙信も動く。翌10日午前8時、霧の晴れまで度肝を抜いたのは武田軍でした。そうして午前中は上杉軍優勢のうちに進みます。この時、謙信が単騎信玄の陣幕に乗り込んだと言われています。しかし、啄木鳥戦法で別働隊となっていた援軍が合流した午後は逆に武田軍が優勢となります。

こうして、最終的には上杉軍が引き、午後4時ごろ武田軍が追撃をやめたことにより、この合戦に幕が下ります。

しかし、朝の8時から夕方の4時まで、飲まず食わずで死闘を繰り広げるわけですから、本当にものすごい話です。

信玄40歳、謙信31歳。二人の間にはこの後、有名な「敵に塩を送る」話があります。二人にとって、多くの犠牲を出したこの戦いは何だったのか?この辺はまた、日を改めてお話しますね!

台風接近のため、そろそろ帰ります。

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