2007.09.13

COLUMN

「出来ないなんて言わないで!」

今日もほぼ一日、出ずっぱりでした。安倍さんは「機能性胃腸症」で今日入院されたとか・・・。これは大体4人に一人は経験のある「胃が痛い、おなかがもたれる」といったものらしく、私なんか持病みたいなものですが、これってそもそも病気?いずれにしても、早期の治癒をお祈りいたしております。よくわからない国の、よくわからない出来事です。総裁選も始まりました。「国家の品格」と言う本が流行りましたが、ドタバタの中で「国家の品格」をさらに貶めることのないことを祈っています。

さて今日は、私の嫌いな言葉について。長いこと人間やってると、私も好きな言葉と嫌いな言葉が出来たりします。で、一番嫌いな言葉が「出来ない」というもの。そんな言葉は、そもそもナポレオンの辞書にも、いや人類の辞書にはない。「出来ない」ではなく結果としての「出来なかった」はあります。でも、やる前の「出来ない」はない。そんなものはあり得ない。

昔からそうでした。負けず嫌いと言うこともあるのでしょう。自分的には誰かに「出来ない」と言うことは、死ぬより恥ずかしいこと、全裸で公衆の面前にさらされるようなもの、いや祖先の墓に自らつばを吐くようなものです。

例えばあなたの部下が、最初「出来ない」と言っていて最終的には出来た場合と、「出来るかどうかわからないけどやってみます」といって、最終的には出来なかった場合、どちらを評価しますか?

もちろん結果主義から言えば、前者の方が明らかに価値があるし、後者はただの無謀だったり、危険予知の出来ない「何でも引き受け屋」かもしれません。でも、そうではない場合、やはり出来ないかもしれないと思えることに果敢に挑戦すること、がんばってやってみること。そういうことはとても大切な意味のある、あるいは未来につながってゆく価値のあることだと思うのです。

「武士は食わねど高楊枝」というような見栄をきる話ではなく、とにかくやってみる。そこからすべてが始まります。多分、そうして文明や科学は進歩してきたはず。そんな立派な話ではなく、例えばあなたがまだ自転車に乗れなかった頃を思い出してみてください。あんなじっと立っていないようなものに乗って、すいすい走れるわけがない。「出来ない」と思って当たり前でしょう。でも、あなたはそれであきらめましたか?それとも、最初は1m、3m。そしてついに一人で漕いで走れるようになりはしませんでしたか?あの時もし、「出来ない」とあきらめていたら・・・。

まあ、言いかたというのもあります。「出来ない」ではなく「こうこうだったら出来る」、あるいは「こういう条件の下だったら可能」と言う表現をしましょう!

あなたの周りには、とにもかくにも「出来ない」と言うことに、何のためらいも見せない輩(やから)はおりませんか?

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