2007.10.19

COLUMN

「狩猟民族 失われた時を求める」

それ以外のものは決して持つことを許されない、19世紀アメリカの綿畑で日の出と共に駆り出され、日の沈むまで働き続ける無口な人々の群れのように、光陰は矢の如き速さで、まるでフラッシュバックでも見ているように、1秒ずつ刻まれているはずの時間は、一秒とはゼロからイチへの針の移動であり、その距離はもし秒針の長さが1キロメートルあれば、100メートルも移動しなければならないとてつもなく長いものであるにもかかわらず、そこを私が全力で駆け抜けようと思えば20秒近くかかってしまうという矛盾という胎児をはらんだ、そんな1秒ではあるのだけれど、私が過ごしたはずの数十分から数時間という記憶のまとまり、小説の文節よりも長く1章節よりも短くはあるけれど、そんな記憶の束がひとかたまりずつに押し潰され、数百枚からなるシーンの中の、タイム誌の表紙を飾るビル・ゲイツの笑顔のように、テーマとなるべき一枚の映像だけを私の記憶の前に投げ出しながら、うろたえることもなく身動きできずに立ちすくむ私の体を、亜音速で突き抜けてゆきます。ハリー・ポッターの映画か、友人が自慢げに演じる何かの種も仕掛けもある手品でも見ているように幼く。

それは、私自身が、その肉体的にも精神的にも幼い頃、母に連れられて覗いた出し物小屋の蛇使いの女の、着物とも洋服とも区別のつかない原色に光る布を、まるで悪魔から贈られたたとでも言いたげな表情に着くずして床に座った化粧の濃い女と蛇の組み合わせの鮮やかな恐怖の映像のように、そんな怪しげな恐怖にも負けないほど鮮明に、しかも断片的なものでしかありませんが。あるいはモノクロの映像の中に真っ赤な、情熱色の、カルメンの煽情的な唇を血で彩るバラの花の色を見出した、若く逞しい雄牛が、数分後の己の運命などまったく思いもかけないままにその運命の、生と死を分かつ運命の赤い布切れが頭から尾へとすり抜けてゆくように。

見上げた空の雨上がりの三日月は、そんな矮小化された私さえも照らし出せるだけの光を持たず、ほっそりとした青白い横顔のまま、初恋のあの女の子の夕日に照らされたあどけない頬のように、涙を流すことも、いや涙という感情の自然な自立的な表現手段さえもすっかり忘れてしまって、物悲しげに真っ黒いそらに吊るされたまま、賢治の作った時の列車が通り過ぎるのを待っています。気がつけば、わずかに見せることだけの慈悲しか持ち得なかったそんな三日月も、数えるほどの街明かりの向こうにあるはずの真っ黒な地平線の下に押しやられ、いつしか私は時間の感覚も空間の認識もない、グラン・ブルーのジャックが見つけた深海の懐に抱かれるような、上下も左右もなく、過去も未来もなく、呼吸も鼓動もない、色のない無色のベッドの中を漂うような、からっぽの時空に落ちてゆきました。こうして週末が、等しく心の貧しい私にも訪れました。

今日は、プルースト風(?)に始めてみましたが、いかがでしょうか?とにかく金曜日ですから、朝一は営業会議。そのあと専門学校へ。帰社してまた業務。今週は久しぶりに読書に専念したので、原則的に睡眠不足。○ヤシさんに指摘されるまでもなく睡眠不足。ハッピを着ようがブルマを履こうが睡眠不足。

で、帰宅して寝りゃいいのにブログを書いて、映画を1本見て、今また再びブログに挑戦中!ミルト・ジャクソンのヴァイブが聴きたくなって、BGMはMJQのラストコンサート。左手には青柳のういろう。ういろうといえば青柳。白やぎさんも今晩は!秋も深まってまいりましたが、ピュッピンは壊れかけております。いやー、秋はやっぱりヴァイブにういろうですよ!

失礼しました。休みます。

The Complete Last Concert
The Modern Jazz Quartet

おすすめ平均:5
5深い思い入れのある好演



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