2008.01.18

CLASSICS

ピョートル・チャイコフスキー 交響曲第4番 へ短調 作品36(1878年)

てっきりもう書いたと思っていた、チャイコの4番。実は書いてなかったんですネェ〜。なんとなく最近の心境がチャイコなんで、寝る前のわずかな時間に、夜な夜なこの4番を聞いています。

チャイコフスキーは交響曲を6曲書きました。前半の1番から3番までは、どちらかと言えば民俗音楽の延長線上にあり、また彼自身の音楽性や独自性模索の時代でもありました。そして、彼の交響曲が始めて芸術足りえたのがこの4番であり、有名な「悲愴」を含む後半の3曲のうち、最も変化に富み、また最も情熱的な曲が、今日ご紹介するこの4番なのです。

以前、5番を紹介したとき、クラシック音楽の作曲家の誰もが意識する「運命交響曲」が、「5番」ではなくこの4番だというお話をしました。この曲を書き始めた頃は、かの有名なフォン・メック未亡人の援助が始まり、またアントニーナという女性との1ヶ月という短い結婚生活のはてに自殺未遂までという、彼の人生における大きな転換期にあたります。そんな激動の時期に書かれたこの曲は、逆に民謡志向から彼を解き放ち、自ら思い描く「悲劇から勝利へ」の人生の設計図であったのかもしれません。

彼の作品でよく指摘される構成力の薄さ。そしてそれを超える叙情的な管弦楽の調べは、この曲から始まったともいえます。そしてそれは同年の「メンチャイ」へとつながってゆきます。

「幸福への追求が目的を貫くことを妨げ、平和と慰安が全うされないこと、空にはいつも雲があることを、嫉妬深く主張している宿命的な力」としての「運命」で始まる第1楽章。

「夜半に、読もうと思って持ち出した本は彼の手から滑り落ち、多くの思い出が湧き上がってくる。過去を嘆き懐かしみ、明日を迎える勇気を持ち得ない。」という悲哀の第2楽章。

「酔った、あるいは眠ってしまった人の脳裏をよぎる気まぐれな唐草模様」という混沌の第3楽章。
そして、ついに終楽章では、単純で素朴な歓喜と幸福を見出します。「人々の幸福を喜びなさい。そうすれば、あなたはなお、生きてゆかれる。」

「悲愴」と比べれば、はるかに耳にする機会の少ない第4番ですが、チャイコフスキーの人生の縮図でもあるこの楽曲は、私にとっては愛すべき名曲です。少なくとも、今時の心境にはぴったりなのですが・・・。

〔CD聞いてみてちょ〕
クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団(1988年)
ミラノ生まれのアバドは、イタリア人にありがちな「歌の命」を振りかざすことなく、作者と自身の内なる音楽に対する切実な思いや、シンフォニーとしての折込の緻密さに心を配った指揮者です。それは彼のキャリアがウィーンフィルで積み上げられたこともあるのでしょう。この演奏も、ストコフスキーなどに見られる国粋主義的あるいは民族主義的な楽観もしくは悲観は影を潜め、あくまでも人類共通言語としての素晴らしい旋律とシンフォニーとして表現されています。そしてそのことが、このチャイコとしてはヌーベルバーグな作品を、彼の脳裏に刻まれ離れることのなかった苦悩と、それに対する彼の描く戦いと勝利の図式を、より高みの音楽として、私たちの前に投げかけてきます。間違いなく、名演です。

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