2008.04.08

万葉の旅

うらさぶる情(こころ)さまねしひさかたの天の時雨の流らふ見れば 長田王

やむことなく降り続く雨を見ていると、心寂しさにとらわれたままになるというような意味でしょうか。長田王らしい美しい句だと思います。

詞書には、和銅5年4月に読まれた句とありますが、心寂しい時雨というと秋のしとしと降り止まぬ雨のような気もします。

ただ、春の雨と言えば「春雨じゃ・・・」というように、なにかポジティブに捕らえがちになってしまいますが、例えばようやく冬が終わり、春になってときめく心が、しとど振る雨に足止めされて、逢いまみえることの出来ない寂しさを歌っているのかもしれません。

時雨が「流らふ」(流れる)という表現も、振り払いたいのにしとしとと降り続くさまが、美しく表現されているような気がします。明日は晴れです。

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