「古典芸能を堪能」

2008年12月 7日 22:20 | ART

今日は、能・狂言を鑑賞してまいりました。文化庁「舞台芸術の魅力発見事業」である今日の公演、アルファあなぶき小ホールはほぼ満席の盛況でした。

演目は、狂言が主人を騙そうと奔走する太郎冠者が笑いを誘う「清水」、能のほうは最後にキツネの精霊が大活躍する「小鍛治」でした。

能・狂言といえば、「日本のオペラ」。その生い立ちもオペラが神や宗教を起源とし、正統派の「オペラ・セリア」と庶民派「オペラ。ブッファ」に別れ、18世紀に統合されていったように、6世紀ごろに中国から伝わった正統派の「雅楽」と庶民派「散楽」に別れ、ご存知室町時代の観阿弥、世阿弥によって形式化されました。

今日の公演前のミニ講座でもお話がありましたが、一般のお芝居や映画、西洋のオペラと、この能・狂言が異なる点は、全者が写実の追及であるのに対し、後者は様式の追求であるということです。特に「能」の場合、歌も最小限の内容ですし、演じる内容自体が極限まで省略化され、動きのひとつひとつがこれ以上削れないほどのミニマムなものになっています。

そんなことで、狂言はまだしも能になると、歌は続くものの舞台ではシテもツレもじっとしたままの状態が続いたりして、最近のSFXを駆使した映画や吉本新喜劇にお馴染みの方には、睡魔と闘う時間となるかもしれません。

先日、フェルメールのお話をしましたが、たとえば「真珠の耳飾の少女」の絵は縦横わずか40cmほどしかありませんが、その壁にあいた小さな窓からは、少女の住む久遠の宇宙の存在を感じます。能も同じように、目付け、ワキ、シテ、笛の4本の柱で囲まれた一辺5.5m四方の空間は、我々の住む俗世界とは異なった、別の宇宙の縮図であるような気がします。

まあ、理屈はどうあれ、映画三昧の今日この頃ですが、たまには日本の古典芸能に触れることも、魂を磨くには必要かと・・・。わたしですか?起きてましたよ、ちゃんと! ^_^;

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