2009.09.17

COLUMN

国民の一人として、新内閣を迎えて。

昨夜は「木の実のケーキ」をいただきながら眠い目をこすりながら、新閣僚の始めての記者会見を終了まで拝見いたしておりました。これまでも新任の閣僚の場合はそうだったのですが、今回はそのほとんどが大臣・閣僚未経験者の記者会見ということで、正直どんな内容なんだろうと思っていましたが、すべての閣僚に共通しての新鮮さと謙虚さ、そして脱官僚依存の決意を感じるいい会見だったと思いました。

まあ、私は官僚ではないのでお気楽に拝見させていただいたのですが・・・。

で仕事柄、そこで起こっているイベントよりも、それまでに裏でどのような企画の元に行なわれたのかということがすごく気になるし、自分だったらとか言う、まあ今回の場合はありえないシチュエーションのシミュレーションなどをしてみたりするのですが、その準備の精密さをひしひしと感じ、そういう意味ではこの政権、期待してもいいのかなと思わせるイベントだったと思いました。

ただ問題は、一部の記者たちの態度です。なんなんでしょうあれは。と、お思いになった方も多いのでは?

まず礼儀を知らない。親兄弟ならいざ知らず、内閣の大臣や要職の人たちに対して質問するのに、名前も名乗らず、ただ自分が聞きたいことを一方的にしゃべる。途中、司会から指導され少し改善されたかと思いきや、10分後には元の木阿弥。戦国時代なら即刻、切り捨てられます。まるで「報道人」という特権階級にでもなったような横柄さ。わたしなら「名を名乗れ!」と怒鳴りつけますが・・・。でも、新閣僚の皆さん優しい。ちゃんと聞こうとされていました。

そして、進行担当から「最後の質問です」といわれても、どんどん質問する。もちろん、名前など名乗らないまま・・・。一体彼らは、どこでどういう礼儀作法を習ったのでしょうか?いやそういう言葉は彼らの辞書には存在しないのでしょうね。そしてその内容たるや、新政権の新閣僚への最初の質問に相応しいとはたして言える内容なのでしょうか?

また、これまで慣例となっていた官僚による記者会見を原則禁止したことに対し、「報道の自由」「国民の知る権利」を制限するのではという質問を、壇上に上がる大臣ごとに投げていた記者がいましたが、皆さんは国民の一人としてどう思われたでしょうか?

確かにそういうことを危惧する必要はあるでしょう。しかし閣僚の方々も同一の見解を返していたように、何かを聞きだすこととその内容がどういうオーソライズのもとに出た情報なのかのほうが、より重要だと思うのですが・・・。特に昨夜の段階では。

その記者はそれをくどくどと繰り返し、閣僚間の矛盾を引き出して官邸の方針を覆させ、ピューリッツァー賞かノーベル報道賞(笑)でも取るつもりだったのでしょうか?

「自由」「知る権利」という「葵の御紋」を振りかざし、誰からでも情報を、しかも落としどころを想定して誘導尋問的な質問を投げて、さもオフィシャルな情報スクープだと競い合う。すべての報道関係者・記者の方がそうだとは言いませんが、最近身近な例も含めそういうある意味「報道人の暴走」がとても気になります。

官僚の記者会見、原則禁止…官邸が省庁に通知

「○○大臣にお伺いします。」「お聞きします。」と尊敬語で問いかけながら、ルールを無視し名も名乗らぬ傍若無人。そういう方々は、私たち普通の国民とはまったくことなる「部族」であると私たちは認識するとしても、「国民の」という形容詞を軽々しく振りかざして欲しくない、そんな無礼を私たちは望んでいないと、そうは思いませんか?

未開の原始時代ならいざ知らず、近代社会において「自由」とは「社会的ルール」のインフラの上に構築されていること、「権利」とは「義務」や「責任」と表裏一体であること。彼らがその代表であると公言する私たち普通の国民は、そういう常識の中でいつも生きています。

脱官僚主義とともに、政府広報から報道を通して国民に伝わることも、50年体勢から脱却させなければならない。期待できない自助努力ではなく、私たち国民の意思として。Mu・・・・私がトホホ?それとも???

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