2009.10.26

COLUMN

感性というか、感受性というか、

私には、内なるものから自然に何かを形作るような芸術性・創造性などはかけらもありません。しかし、人並みに感性や感受性を持ちたい、持ち続けたい。

そのためにはまず、私の回りに存在するすべてのものの中から、さまざまなものを見聞きし、触れ、色や形や匂いや味、もっと言えば柔らかさや複雑さ、単純さやコントラスト、滲みや深みなどを知り、それらの情報を体内に取り込んだ上で、何がしかのイメージを心の中に形作ろうとします。

しかし、こと一日のそのほとんどを費やす「仕事」なる、煩雑かつ雑然とした「処理」は、そんな創造性や感受性はむしろ障害となる場合が多い。「見て見ぬフリ」「聞こえなかったフリ」をするくらいなら、気づかないほうがいい、知らないほうがいい。その方が安穏な時間が過ごせます。

感受性の目を閉じ、創造性の心を閉ざし、黙々と黙して処理をすること。なぜならそこに求められるのは、創意工夫ではなく、単純な正確さなのですから。

でも、そんな日々を積み重ねてゆく間に、私の心は枯れ、目はかすみ、耳は遠くなるばかり。感性の最前線で戦い続ける勇気は持ちえはしないけれど、人としてこの世に生まれた以上は、感性なるもの、感受性なるものの育つ姿、生み出すシロモノを眺め続けていたい。なんなら、その進化、いやただの変化かもしれないけれど、その「私の生き様」「私らしい生き様」を見ていたい。

今日も、そんな葛藤を心に秘めて、ポーカーフェイス、いやぴゅっぴん・フェイスでGo!

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