2009.11.09

COLUMN

「法事とV2ロケット」

v2.jpg週明け月曜日は、社内清掃と朝礼から。いつも通りです。午後から2件のお得意さまお客様を訪問させていただき、サポートやら打合せやら。秋の陽は、落ちるのが早い。

一昨日は、かがわアート塾第4講だったのですが、私用でお休みをさせていただきました。関係者の方々には、ご迷惑をお掛けしました。で、土曜日曜は法要のはしごでした。土曜日は高知で一回忌。日曜は田舎で13回忌でした。

法要は故人を偲ぶのが目的なのですが、実は久しぶりに寄り合う親類に妙がある。特に日曜の13回忌は、ご無沙汰や久しぶりの方々にお会いでき、いろいろなお話が出来ました。

その中でも会席時に隣り合わせた親戚筋に当たる方とのお話は、とても興味深いものでした。この方、かつて18歳のときに学徒出陣して、愛知県の四日市でなんと「国産V2ロケット」の製造に関わっていたというのです。

「V2」ロケットといえば、ナチスドイツの悪名高き殺傷兵器。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが「報復兵器第2号」と命名し、ロンドンやベルギーの都市部に数千発打ち込まれたミサイルです。

チャーチルが激怒し、迎撃不能で突如襲ってくるこのロケットに対して発射元を叩くしかないとの理由で、結局連合軍のドイツ侵攻が早まったというこの兵器。そういう対戦中のお話だけでなく、物語は戦後の宇宙開発にまでつながっています。

このV2を開発したのが、有名なフォン・ブラウン博士。ナチス党員であり親衛隊少佐でもあった彼は、大戦末期には親衛隊の追跡を振り切ってアメリカに亡命。大戦後には陸軍に所属してジュピター・ロケットを開発し、西側で始めて人工衛星の打ち上げに成功します。

saturn.jpg半年後に組織されたNASA(アメリカ航空宇宙局)の一員となり、2年後には新設されたマーシャル宇宙飛行センターで、有名なJ・F・ケネディの「人類を月に」の意向を受け、サターン・ロケットの開発に着手。9年後の1969年にアポロ11号は月に降り立ちます。

で、昨日のお話は、太平洋戦争中に秘密裏に開発されていた「国産V2」ロケットのお話で、その方は燃料であるエタノールを噴射させるためのターボポンプを回す過酸化水素水の蒸留を行なっていたとのこと。2名のドイツ人技師の指導の下、徳山から列車で運ばれてきた濃度30%の過酸化水素水を60%の濃度にまであげてロケットに注入していたそうです。

しかし国産のロケットがアメリカ大陸を攻撃したなんて話はどこにもないし、そもそも「国産V2」の話題もほとんどネット上には落ちていない。まあ成功せずに終戦を迎え、その技術と技術者たちはおそらくGHQによって完全封印され、そのままとなっているのでしょう。

身近に、こんな貴重な体験をされた方がいることに驚きましたが、校長を歴任されたその方との教育談義にも花の咲いた秋の午後でありました。(^_^;)

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