2011.10.12

CLASSICS

「ショパンとラフマニノフ」

先日某国営放送FM番組に出演し、ショパンとラフマニノフを披露する予定の若手の女性ピアニストの番組冒頭の挨拶。

「ショパンの繊細さとラフマニノフの広大なロシアの大地が育んだスケール感を皆さんにお届けできたらと思います・・・云々」

ショパンもラフマニノフもピアノ曲が有名な作曲家です。が、ショパンは「精細さが売り」ではないし、ラフマニノフはチャイコほどに「シベリア大地の匂いはしない」というのが私の個人的見解です。

まずショパン。「ポロネーズ」とか「子犬のワルツ」とか聴くと、確かにか弱い指で五月雨のように弾かれる繊細で美しい旋律が印象に残ります。

しかし私の認めるショパン弾きはルーヴィンシュタインだけ。ショパンの曲は美しく繊細な旋律の中に、実は郷愁や懺悔といった男ショパンの激しい心の葛藤が込められています。つまり力に溢れる指が奏でるピアニシモの美しさなのです。

ラフマニノフは、コンチェルト2番が映画「逢びき」に使われるなど、女性以外の特に硬派の音楽評論家には酷評される作曲家です。

が、その作風はあきらかに西ヨーロッパの厳格な音楽理論に立脚した堅固なものであり、尊敬するチャイコフスキーなどに見られるロマン派と民俗音楽を取り入れてはいますが、それはやはりピアノならではの旋律であり、彼のワンアンドオンリーな個性を持って「ロシアの広大な大地」などというのはとんちんかんは話だと思うのです。

それは、映画「シャイン」を見れば子供でもわかるし、ラフマニノフの手が異様に大きかったと言うのも有名なお話。

そもそもピアノは打楽器です。だからと言うわけではありませんし、女性を蔑視しているわけでもありませんが、私の認める女流ピアニストはアルゲリッチと内田光子だけ。

アルゲリッチは、あの男勝りの強靭なタッチと繊細な指使いですし、内田光子はモーツァルト限定です。

名前を忘れましたが、冒頭の彼女は今はヨーロッパで2つの大学に通ってピアノを学んでいるそうです。

ピアニストにも必ずや「心技体」が必要だと信じて疑わない私からすれば、そんな「素人だまし」みたいなセンチなイメージはさっさと捨てて、彼らがピアノと言う楽器(打楽器)を通して何をどのように表現したかったのか、個人的印象や心象ではない「事実」に身を投じてそこから見えるものをつかみ表現して欲しいと思います。

そうでなければ、10年後にはどこかの住宅街で、小学生か中高年相手にバイエルを教えることになりますよ・・・。(^_^;)

と、ちょっと辛口ですいません。勝手気ままな独り言です。

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