2012.07.07

COLUMN

「人類の進歩と調和」

1970年にアジアで始めての万国博覧会が大阪で開催されました。前の年にはアポロ11号が月面着陸に成功し、アメリカ館には月の石が展示されて話題になりました。

2012070601.jpg戦後25年。敗戦からの復興を遂げつつあった日本。トラックの台数よりも乗用車が上回ったのもこの頃でした。

原子爆弾により世界で唯一の被爆国となって敗戦した日本が、初めての商用原発である東海村発電所の商用発電を始めたのは5年前の1965年でした。

「人類の進歩と調和」

これは前述の大阪万博のテーマでした。しかし20世紀以降の急激な科学の進歩に対し、人類はそれと調和するだけの倫理観を熟成させることが出来たのか?

むしろ70年代から80年代にかけて、新たな経済の発展、それも世界の隅々まで一夜に巻き込むグローバル経済が進化進展し、そしてそれは次第に人類の良識や意図を離れ制御不能となって、まるで映画「インディペンデンス・デー」のように人類を襲い、翻弄するようになります。

「人類の進歩と調和」


「科学」「技術」「経済」・・・

それらの調和のみを突き詰めていった結果が、福島原発の今であり、崩壊する家族であり、荒れる教育現場や若者の就職難、新たな領土問題などではないでしょうか?

この半世紀、私たち人類はそれらの対極にあって、それらとバランスをとり調和させるべきものを進化させてはこなかった。いやむしろ鈍感になり、あるいは退化させてしまった。

「技術優先」「効率優先」「経済優先」というキャッチフレーズのもと、1億すべての国民が総中流といわれた時代もありました。大切なものを引き換えにしたことに気づかないまま・・・。

「負け組」と呼ばれること、「負け犬」になることを恐れず、私たちは一度立ち止まり、進歩してしまった「科学」「技術」「経済」をコントロールすることの出来る人間力の元となる「倫理力」を見直さない限り、右肩上がりで暴走を続けるテクノロジーに、やがて人類は滅ぼされるのではないかと思うのです。

小さい頃、両親や祖父母から、「畳のヘリを踏むな」とか「敷居はまたげ」とか「箸をなめるな」とか、いろいろ厳しく教えられました。

21世紀。自分自身に対して、あるいは教え導くべき相手に対して、もう一度ここに戻る必要があると思うのは、私だけでしょうか?

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