古(いにしえ)に恋ふる鳥かも弓弦葉(ゆずるは)の御井(みい)の上より鳴きわたり行く 弓削皇子
2008年5月15日 23:13 | 万葉の旅 | コメント(0)
天武天皇の第6皇子の弓削皇子(ゆげのみこ)が、持統天皇とともに吉野に行幸されたときに、京に残った年老いた額田王に贈った歌です。
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2008年5月15日 23:13 | 万葉の旅 | コメント(0)
天武天皇の第6皇子の弓削皇子(ゆげのみこ)が、持統天皇とともに吉野に行幸されたときに、京に残った年老いた額田王に贈った歌です。
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2008年4月 8日 23:59 | 万葉の旅 | コメント(2)
やむことなく降り続く雨を見ていると、心寂しさにとらわれたままになるというような意味でしょうか。長田王らしい美しい句だと思います。
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2007年11月 7日 00:05 | 万葉の旅 | コメント(0)
ひさしぶりの万葉の旅の投稿です。文武天皇が吉野に行幸した際に、従者のひとりが作った歌だと言われています。「はたや」とは「またも」と言うような意味らしいのですが、こちらの方が思いが深く感じます。「吉野の山から吹き下ろす激しい風は肌寒いく、今夜も私は仮の宿りに独り寝るのだろうか。」一説には天皇自身の作とも言われています。
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2007年9月14日 10:06 | 万葉の旅 | コメント(4)
はいはい、有名な歌ですよね。万葉集といえばこの歌を思い浮かべる方も多いでしょう。この歌は、前回紹介した軽皇子一行との旅の朝に読まれたものです。この歌、季節感が不明な方も多いと思うのですが(私も実はそうだったのですが・・・)、これかの秋の歌だそうです。人麿的には、すこし女々しく感じもするのですが、素直で浪々とした響きのよい調子は、彼ならではでしょうね。また、前夜(?)の悲しくも重々しい作風から一転して、自然をありのままに受け入れながら無の心持を表せるのも、彼の力量のなせる業なのでしょう。
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2007年8月31日 08:54 | 万葉の旅 | コメント(0)
天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の子である軽皇子(後の文武天皇)が、27歳の若さで即位することなく死去した父を偲んで、現在の奈良県宇陀市あたりに宿をとった際に、同行した人麿の読んだ歌です。人麿らしさがよく現れた一首ですが、実はこの阿騎の野が、かの有名な「ひむがしの・・・」で歌われる輝く野であり、同じ旅の時の歌なのです。これも人麿30歳頃の歌。彼のアイデンティティが現れ始めた、響きのよい歌です。
2007年8月10日 16:08 | 万葉の旅 | コメント(0)
人麿30歳、持統天皇が藤原宮に遷都する数年前の飛鳥浄御原宮にて、伊勢に行幸した天皇とその侍女たちを思い浮かべて歌った歌です。
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2007年7月27日 19:38 | 万葉の旅 | コメント(0)
いよいよ人麿の登場です。彼はこの前にご紹介した持統天皇の時代の歌人なのですが、この歌、天智天皇と天武天皇の狭間に起こった壬申の乱が関係しています。乱の後、天武天皇〜持統天皇が現在の奈良県橿原市あたりの藤原宮に遷都したことにより、天智天皇が築いたものの寂れてしまった近江大津宮を訪れて読んだ歌なのです。うん、短歌は歴史のお勉強にもなるのですねぇ〜!
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2007年7月23日 17:07 | 万葉の旅 | コメント(4)
梅雨が明けましたね。皆さん、洗濯に忙しい毎日でしょう。この歌は、かつて学生時代に目にし、耳にして記憶にある方も多いはず。それほど、平素でかつ流れの美しい歌です。あちこちに沢山干された白妙を見て、季節の移り変わりを感じる。女性らしい感性がしっかりと伝わってくる歌で、これも私の好きな歌の一つです。
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2007年7月18日 09:21 | 万葉の旅 | コメント(0)
麻続王(おみのおおきみ)が罪を得て伊勢の伊良湖に流された際に、里人に 「打ち麻を麻続王海人なれや伊良虞(いらご)の島の玉藻かります」(麻続の王は海人であるのか、海人でないのに伊良湖の島の海藻を苅って居られる。おいたわしいことだ)と語り掛けられ、感傷した王がこたえた歌です。
「この世の命が惜しさに私は波にぬれてこの伊良湖の島の海藻を刈って食べているのです。」
かつては都で優雅な日々を送っていた王が、これ以上先はないというような辺境の岬に流された。しかし王はそこで、純朴な里人の心に触れ、人としての大切なものを学んだのかもしれません。いずれにしてもその身の上を感傷的に歌っていることが、「命を惜しみ波に濡れ」という部分に、しみじみと現れています。人生の悲哀を感じる、悲しい歌です。
2007年7月 6日 14:35 | 万葉の旅 | コメント(0)
前回の額田王の「あかねさす」の名歌に皇子が応えた歌です。人嬬(ひとづま)というのは、天智天皇の妻であることを指していますが、単に兄の妻に横恋慕しているわけではなく、額田王はご存知のとおり、先にはこの大海人皇子に嫁ぎ、その後天智天皇に嫁いだわけで、その理由は知りませんが、いまだにお互いが思いあっているさまが読み取れます。
「(紫野にかけて)紫色に香しいお前が憎いのであれば、もはや人の妻たるおまえにかように恋するはずがなかろう。危険を冒すのもお前のことを恋しいと思っているからこそなのだ」
ん・・・大人の恋ですなぁ〜。というか、さすがに皇室の方の歌だけあって、内容はそういうことであっても、力強くまた高貴な香りが漂います。私なんぞが歌えば、ただのスケベ親父になってしまうのですが・・・。いずれにしても、美しくも情緒に溢れた万葉の時代は素敵です。
2007年7月 4日 17:44 | 万葉の旅 | コメント(2)
額田王が大海人皇子から天智天皇に召された後、天皇が近江に遊猟した折に、お供であった元の主人である皇子が彼女に向けて心くばせに振った袖に対し、額田王が歌った歌です。
「あかねさす」は枕詞、紫野(むらさきの)は紫草を染料として栽培している野、標野は御料地のことで野守はその御料地の番人。今は兄の天智天皇のものとなった自分に対し、皇子が袖を振ってくれることをとてもうれしく思いつつ、他のものに気づかれるのではないかと心配りしている。女性らしく柔らかな歌です。
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2007年6月27日 23:12 | 万葉の旅 | コメント(0)
この歌は、額田王作ということになっていますが、実は作者不明だそうです。いずれにしても気品漂い、また情に溢れた歌です。「眺めのよい三輪山をもっと見ていたいのだけれど、にわかに雲が隠してしまった。たとえ雲であっても、情けがあってほしい。隠さないで欲しい。」というような意味ですが、最後の「隠さふべしや」という句の「や」は、斉藤茂吉氏によるとこれは強い反語で、「隠すべきか、いや決して隠すべきではない」という強い思いが表されているそうです。額田王は抒情詩人として知られていますが、この結句はまさに彼女の真骨頂です。
自然を擬人化すると、どうしても全体があいまいになってしまうものですが、この歌は彼女の才によって、作者の心を痛いほど伝えることに成功しています。天智天皇でなくても惚れちゃうかな?
2007年6月25日 16:41 | 万葉の旅 | コメント(0)
わたづみの とよはたぐもに いりひさし こよひのつくよ あきらけくこそ
「沖に浮かんだ大きな旗のような雲に赤く夕日が差している。今宵の月は名月になるだろうな。」というような意味。それ以上でもそれ以下でもないのですが、人などとは比べ物にならない壮大な自然の営みと、またそれを愛でる人としての楽しみが、ストレートにスムーズに表現されています。
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2007年6月16日 23:44 | 万葉の旅 | コメント(0)
わがせこは かりほつくらす かやなくば こまつがしたの かやをからさね
中皇命(なかつすめらみこと)が紀伊の温泉に行幸した折の歌だそうです。「あなたは今夜の宿にと仮小屋を作っておられるけれども、もしも屋根を葺く草が足りないようでしたら、小松の下の萱草をお仮りなさいませ」というような意味で、別に他愛はありません。松は霊力があるとされており、そのもとの萱草ならよいでしょうということです。逆に他愛のないところがこの歌のストレートに響いてくる理由なのでしょうね。以前ご紹介した熟田津の歌の額田王にも通じる、女性的でありながらかつ力強く訴えかけてくる歌ではないでしょうか。
この中皇命という人物、詳細は不明だそうです。賀茂真淵は舒明天皇の皇女で後の孝徳天皇の皇后である間人皇女だとしていますが、斉明天皇であるとも言われています。いずれにしても、高貴な香りのただよう歌です。
2007年5月23日 12:25 | 万葉の旅 | コメント(0)
舒明天皇が伊豫の温湯の宮(道後温泉)に行幸の後、讃岐国安益郡(現在の綾歌郡ですよー!)に立ち寄った時の、軍王(いくさのおおきみ)の歌です。「山を越えて風が吹いてくる。一人寝の旅路の床で、家に残した妻が愛しい」というような意味です。
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2007年5月16日 09:35 | 万葉の旅 | コメント(4)
第37代斉明天皇が新羅を討たんと九州を訪れる途中、伊豫の熟田津(現在の御幸寺山付近)に滞在した際に、額田王が読んだ歌です。「船出の時を待っていれば、明月に潮も満ち、さあ漕ぎ出そう」という意味。
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