2004.09.08

CLASSICS

ベートーベン 交響曲第5番 ハ短調作品67(1801年)

交響曲と言えばベートーベン、ベートーベンといえば俗に「運命」と呼ばれる第5交響曲、「ジャジャジャジャーン」です。こんなロジックがショートサーキットすると、「交響曲」=「ジャジャジャジャーン」となるわけですね。今日はその第5交響曲のお話です。

ところで、この第5交響曲が「ジャジャジャジャーン」で始まることは、わが国の高度な義務教育のおかげで、多くの方がご存知と思いますが、「この曲を通して聞いたことがある」「4楽章とも知っている」と言う方は意外と少ないはずです。確かにガッコーの音楽の時間には終楽章まで聞いたはず(聞かされたはず)なのですが・・・もし、第一楽章だけ聞かせたという音楽の先生がいたなら、教育方針についてもう一度お考え直しください。

で、話は第5交響曲となるのですが、この曲がなぜ傑作と呼ばれるのか、この曲をしてなぜ、交響曲が完成されたとするのか。一度聞いたら忘れられない例の第一主題や、各楽章における再現性とその効果による楽章の連続性、形式論の話など、音楽理論から言えば複雑になりますので(というか、私自身理解できないので・・・)、ここでは彼の確立した「闘争から勝利へ」「苦悩から歓喜へ」という交響曲に宿すべきテーマの確立をあげたいと思います。これにより、少なくともベートーベンを師と仰ぐ、ブラームスやブルックナーは先ほどの理論的な手続きや、作品として持つべきテーマ「苦悩から歓喜へ」を骨組みにすえ、それぞれのメロディやリズムを着せてゆくことになるのです。つまり中間楽章にスケルツォと緩徐楽章を配し、ソナタ形式のアレグロ楽章であるという、いわゆる古典の完成された形式です。ここから近代音楽に向けて、その骨組み自体に挑んだのが、私の愛してやまないマーラーだったのです。

話を戻して、この交響曲の出だしの部分しか聞いたことのない方、覚えていない方は、是非全曲を通して聞いてみてください。確かに古典ですし、19世紀になったばかりの今から200年も前に作られた曲です。でも、ここにはクラシック(古臭いという意味ではなく)音楽のひとつの完成形としての頂点があり、器楽曲の完全なる記憶(DNA)があるのです。

ところで、第5交響曲と言うのは、実は結構名曲ぞろいだったりします。ここに取り上げたベートーベン、同派のブルックナー、ロシアのチャイコフスキー、そしてマーラー。みんな第5は素晴らしい交響曲がそろっています。というか、ベートーベン以降、5曲目の交響曲を作るのは、おそらく命を賭けるほどの大仕事だったのでしょうね!もちろん最初から戦いをあきらめていたブラームスのような人もいますが。(ブラームスファンの方、ごめんなさい)

ちなみにこの第5交響曲を「運命」と呼ぶのは実はわれわれ日本人だけなんですよね。私の手持ちの輸入版にもそのような記載は全くありません。「運命」の由来は、弟子のシントラーという人が、かの有名な主題に対し、「運命はこうして扉を開く」と作曲者自身が述べたという証言によっているのですが、このシントラーという人物自体、当のベートーベンからはあまり信頼されていなかったようで、この話も結構眉唾物なのです。ですから皆さんには、「運命」とか「ジャジャジャジャーン」とかを一度デリートしていただいて、あらためてベートーベンの中期の傑作交響曲として、「苦悩から歓喜へ」がテーマの器楽曲として、全曲通して聞いてみてください。

[CD聞いてみてちょ!]
■カルロス・クライバー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
まあ、名曲だけに星の数ほどCDもあります。有名なところでは40年代録音のフルトベングラーやクナッパーツブッシュなどを推参される方もありますが、ここは古典古典していなくて、いい音で聞けるCDとしてこのアルバムをご紹介します。天才クライバーの指揮の下、おっとりお坊ちゃまのウィーン・フィルがスケールの大きな、そして柔らかな弦の響きを聞かせてくれています。クライバーのタクトは恐らくは目にもとまらぬスピードで楽団員をリードし、オケもめがねの曇りを吹きなおし、必死の形相で食らいついています。ウィーンフィルお得意の中間楽章の漂うような弦の響きを堪能したら、終楽章に訪れる音楽という名のエネルギーの爆発を目の当たりにすることができます。現代的解釈の「苦悩から歓喜へ」の物語、是非ご堪能ください。
1975年録音 447 400-2

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