2004.11.21

ART

自分の美意識を守り通した画家 アングル

Jean-Auguste Dominique Ingres 1780 - 1867

18世紀フランスでは、ルイ14世の死後、貴族たちがそれまで強制的に住まわされていたヴェルサイユ宮殿をはなれ、それぞれの邸宅を建てました。ルイ14世時代の反動で、享楽的な貴族趣味の「ロココ様式」はこうして始まったのです。しかし1789年に起こったフランス革命により、この貴族階級も没落し、ロココ様式に変わって登場したのが「新古典主義」でした。
 享楽的・感覚的なロココ様式を批判した新古典主義は、絵画に知的で論理的なものを求めました。当時のアカデミーも神話画よりも歴史画に力を入れるようになり、テーマも市民の義務や責任、国家への忠誠と行ったものが薦められるようになったのです。新古典主義の独裁者的存在だったダヴィッドと並んで、色彩よりもデッサンを重視し、神話画や肖像画に調和した美、理想の美を求めたアングルがいました。



ドーソンヴィル伯爵夫人
《ドーソンヴィル伯爵夫人》1845年 油絵 ルーブル美術館

アングルは、ラファエロを非常に尊敬していました。ラファエロの美に対する価値観、バランスを受け継ぎ、その上に展開された卓越したデッサン力、個性を的確に描写するするどい感性、正確な新古典主義的線描というアングルの特質は、肖像画に最も適しています。この、《ドーソンヴィル伯爵夫人》では、デッサンの時の方がむしろ生々しく表現されています。しかし彼は、デッサンでにじみ出てくる対象の存在感を冷徹なまでに押し殺し、彼の理想とする美しさだけをカンバスに残そうとしました。晩年まで彼の制作意欲はおとろえず、82歳のとき女性ヌードの最高傑作「トルコ風呂」(1863)をえがきました。アングルの影響力は今日にいたるまではかり知れず、彼の様式からインスピレーションをうけた画家は、ドガ、ルノワール、マティス、ピカソなど数多いのです。


泉
《泉》1856年 油絵 オルセー美術館

18世紀の終わり頃までに、画家たちはギリシアの壺絵にある、平板でシルエット風の人物たちを模倣しはじめました。この様式は、従来の遠近法や光線の扱い、肉付けの方法を完全に一掃してしまったのです。ダビッドの弟子で古典的伝統の指導的継承者であったアングルも、この2次元的方法を採用しました。箱のような建築空間と人物配置から、新古典主義が構図上の秩序や明快さに関心をもっていたことがわかります。しかも、くっきりとした輪郭やきびしい光は、人物をまるで彫刻のようにうきたたせています。この「泉」に描かれた女性の均整のとれた美しさは、100年以上たった現代人の私たちに新鮮な美の価値観と感動を与えてくれます。

《泉》 (部分)1856年 油絵 オルセー美術館

当時、彼の新古典主義と激しく対立していたのが、ドラクロア率いるロマン派でした。革新的で表現主義的なロマン派は、アングルのサロン=体制に対抗し、また当時の印象派の画家達に絶賛とともに受け入れられていました。しかし、アングルが描きだすデフォルメされた身体、執拗に塗り込められた陶器のような質感、得意な空間構成は印象派と同様革新的なものでした。彼の空間構成は、一般的な自然なものではなく、歪んだ独特の構図でした。それは、遠近理論の矛盾では決してなく、彼の美意識の選んだ空間構成だったのです。
泉


グランド・オダリスク
《グランド・オダリスク》1814年 油絵 ルーブル美術館

 当時の印象派の画家たちは、彼のスタンスに対し辛らつな批評を送りました。

「アングルは豊な才能を持ちながら、間違った道に迷い込んでしまった。絵画の命が輪郭の中にあると考えたのでしょうか?真理はその反対なのです。」  コロー

「純粋で、甘く、柔らかい。しかし血の気がない。これは単なる映像です。絵画とはもっと情熱的なもの。理想の処女を描こうとするあまり、彼は肉体を全く描かずに済ませたのです。」  セザンヌ

「アングルにも僕にも欠点は沢山ある。でも、僕の仕事を彼にやらせ、彼の仕事を僕にやらせたら、僕は彼の何倍もうまくやれる自信があるよ。」  ドラクロア

《小浴女あるいはハーレムの室内》1537〜41年頃 フレスコ システィーナ礼拝堂

一方、色彩の画家マティスはこのような見方をしています。

「長い間、色彩はデッサンを補うものでした。しかしヴェネツィア派や東洋人達は、始めから色彩を表現の手段としました。アングルが<パリの迷子の中国人>と呼ばれるのは理由があります。彼こそが、純粋な色を損なうことなく、区切りをつけながら使い出した最初の画家だったからです。」  マティス

マティスだけでなく、後期印象派と呼ばれる人達や、ドガ、ピカソなど、アングルが享年87歳まで追い求めた美の世界は、多くの画家、作品に影響を与えたのです。
小浴女あるいはハーレムの室内


ヴァヒネ・ノ・テ・ミティ
《ヴァヒネ・ノ・テ・ミティ》  ゴーガン 1426〜28年頃 フレスコ サンタマリア・ノヴェッラ聖堂

これは、アングルに影響を受けたゴーガンが上の〈小浴女あるいはハーレムの室内〉のモデルの背中に魅せられ、南国風の作品にしたもの。しかしこの時のゴーガンは、いつになく神妙なタッチで絵がいているように見えます。他にも人物画や肖像画の多いドガも、アングルの影響が少なからず見うけられる作品が数多くあります。

「美」とは一体なんでしょう?また、絵画における「美」とは?あなたは自分の価値観の中に、「これが私の感じる美しさだ!」と言えるものをもっていますか?確かに最低限生きてゆくのに、「美」などは必要のないものかもしれません。しかし、あなたがもし心のなかに自分の「美」をもったなら、少なからずあなたの人生に輝きが増すと思うのですが。アングルは、人がなんと言おうと「これが自分の感じる美だ」と言えるものを一生涯追い求めました。いや、彼に限らず芸術活動を生業にしている者は、すべからく己の美を求めて止みません。しかし、「美」を求める事は芸術家だけの特権ではないし、創造してゆく「美」もあれば、受けとめる「美」もあるのです。あなたの身の回りをもう一度見渡してみれば、きっとそこここにあなたの感じる「美」が存在するはずです。世紀末を過ぎた今、「美しきもの」を求めてみませんか?

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