2005.02.20
グスタフ・マーラー 交響曲第1番 ニ長調 (1888年)
えーなんと2ヶ月ぶりの投稿となってしまいました。忙しかったというのはただの言い訳で、根性切れてしまったのが最も大きな理由のひとつですねぇ。で、どうすると問いかけてみると「マーラー狂」御大が、「じゃあ、マーラーのはしごしたら?」とおっしゃるので、これからしばらくは好むと好まざるにかかわらず、「マーラー8段ばしご」にお付き合いください。
マーラー自身の事については、以前第4や第5で少しお話したかと思いますが、今回から彼の交響曲を1番から順番にやるにあたり、彼の作曲(つまりは交響曲と言う形で残っている譜面)に対することなんぞ、主観話をしてみたいと思います。そもそも交響曲とは、なんていうとまたぞろ「教科書的」と誰かさんの声が聞こえてきそうですが、マーラーを語るには交響曲の生い立ちを知ると理解が早いのです。
で、そもそも交響曲とは、現在のようにコンサートのメインプログラムではなく、またクラシックと呼ばれる音楽自体、鑑賞を目的に作られたものではないことは、皆さんご存知のとおりです。ハイドンやモーツァルトに見られるように、式典や何かの上演の始まりに当たって、観衆のおしゃべりをやめさせたり、祝祭的な雰囲気を盛り上げるために作られたものでした。そんな交響曲と言うものを今の地位に引きずりあげたのが、「交響曲の父」と呼ばれるベートーベンであるのもご存知のとおり。そして公式にいわれているとおり、彼の死後200年と経たないこのマーラーの時代には、その創造物としての生涯を終えてしまうのです。マーラーの後に続く本格的な交響曲作曲家と言えば「ショスタコーヴィチ」など数えるほどしかいません。それで彼は、交響曲史の「最後の巨匠」などと呼ばれているのです。いや、もしかしたらマーラーが同時代のブルックナーのように、ドイツロマン派の伝統を守りつつけていれば、交響曲も、もう100年くらいは延命できたのかもしれませんが・・・
いずれにしてもマーラーの交響曲は、ブラームスやブルックナーなどと比べると、現代人の我々の感性に近い、つまり当時としては「近代的で都会的」であり、そのため逆に当時の特にウィーンの聴衆たちには到底理解できるものではなかったようです。この1番も1900年の自身による初演は散々だったようで、これを聞いた批評家のハンスリック曰く、「私たちのうちどちらかは気が狂っている。そしてそれは私ではない。」と言わしめたほど。ところが、現代人の一人である私が、こうして音楽評のために久しぶりに引っ張り出して聞いてみても、ずっとそばにあったかのように自然に私の外に内に、彼の「音の知覚」が自然にまとわりつきます。
バイオリンからコントラバスまでの全ての弦楽器がフラジョレットで奏でる7オクターブの「イ音」で始まる第一楽章は、すでにマーラーがこの第一作で世紀を飛び越えてしまっているかのようです。マーラー自身の失恋体験がベースとなっている第2楽章から、独特の第3楽章に入って行きます。この第3楽章はあきらかに「葬送の風景」を描きながら始まるのですが、途中どうみても葬送には不釣合いな楽隊の「ブンチャカブンチャカ」というメロディがなだれ込んできます。これも実はマーラーの幼少体験に深く根ざしていて、彼の交響曲の中にはよく出てくるものなのですが、そのあたりのお話はまた次の機会に。そして、第3楽章から切れ間なく続く終楽章は、いきなり全オケの爆発で始まり、一体何が起こったのかと、一瞬自分の場所を見失ってしまいます。明らかにベートーベンの「闘争から勝利へ」を引き継ごうとしながら、ベートーベンのように内なる成長の帰結ではなく、不条理に外的に帰結を強要するこのやり方も、以降の彼の交響曲に引き継がれていくことになります。
ドイツ語教育を受けたボヘミア生まれのユダヤ人、マーラー。彼の交響曲全編を通じて感じられるアンビヴァレントなスリルは、このような彼の生い立ちと、世紀末という彼の生きた時代の匂いとともに、混沌の洪水に流される現代の私たちが共感を持って受けとめることが出来る理由なのかもしれません。
ちなみにこの曲は「巨人」とも呼ばれたりしますが、そのような表題から想起するイメージなどはきっぱりと捨てて、彼の処女作(正確には2作目であり、交響詩からの改作)であるこの「音の知覚」に浸りながら、偉大な作曲家の誕生を祝おうではありませんか。
[CD聞いてみてちょ!]
■バーンスタイン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
マーラーはワルターかバーンスタインといわれていますが、私が持っているのは、そのうちのバーンスタインものです。1986年録音のこのアルバムは、バーンスタインによる同じユダヤ人の使徒として、マーラーの追体験をしているような演奏で、うねるような楽団の濃厚な和音の中に、若き日のマーラーの若々しい情熱と抒情詩人の歌を聴くことが出来ます。アダージェットをマーラーだと思われているカラヤンファンの方には、ちょっと消化不良気味になってしまうかもしれませんが、時代を超える力を手に入れるために、よく言われる彼の「女性面」を振り切ったような「男気」あふれる演奏は、バーンスタインの真骨頂です。40歳を過ぎて、ご自分の青春を見つめ直されたい方へ!