2005.03.08
グスタフ・マーラー 交響曲第6番 イ短調 (1905年)
1897年 ウィーン宮廷歌劇場監督就任
1898年 ウィーン・フィルハーモニー指揮者に就任
1900年 第4交響曲作曲
1901年 アルマ・シンドラーとの出会い
1902年 第5交響曲完成
アルマ・シンドラーと結婚 長女誕生
1903年 ウィーン音楽院時代からの親友フーゴー・ヴォルフ死去
1904年 第5交響曲初演
次女誕生
いきなり、年譜を載せました。これまで、マーラーの第1から第5までをご紹介してきましたが、実は現在私が最もお気に入りの第6交響曲をご紹介するにあたり、この曲が作曲されたころのマーラー及びその一家の様子をお話したほうがよいと思ったのです。この曲は1903年から1905年にかけて作曲されました。当時、前記のようにマーラーは、19歳年下のアルマとの電撃的な婚約・結婚をし、また長女・次女とつぎつぎに誕生し、金銭的にも精神的にも充実した日々を迎えます。特筆すべきはやはり、アルマを口説き落とし、結婚にいたる道のりでしょう。
アルマ・シンドラーは23歳。画家の娘であり、また皆さんよくご存知の(グスタフ・)クリムトや作曲家のツェムリンスキーといった当時のウィーンの蒼々たる芸術家から求婚されるような、美貌と知力に長けた自ら作曲家と指揮者を目指す「20世紀の女性」でした。そんな彼女がマーラーに完全に敗北し、従うことになったのは有名なマーラー自身による「関白宣言」の手紙によるといわれています。というのも、アルマ自身も自己顕示欲が強く、支配欲も人並み以上だったのですが、彼女が惹かれるのはそんな自分よりもより支配欲が強く、自分よりも優れた人間でした。彼女にとってマーラーは、「私の父を除けば、男性として私に強さを感じさせる最初のユダヤ人」であったのです。この文脈は、実は8年後の大きな出来事の伏線になるのですが・・・
前置きが長くなりましたが、第6交響曲です。前述のような、いわば日の出の印象の強い出来事ばかりが起こったわけではなく、実は1903年の友人フーゴーの死去は、彼にとっては大きな事件でもありました。そして、これまでの5つの交響曲の発展形として、また彼の最も精神状態の充実した結果として、長大でかつ全編にわたり緻密に計算された作品となりました。4楽章で、両端にアレグロ楽章、中間にスケルツォと緩徐楽章を配したいわゆる古典的交響曲の構造は、なんとこの第6だけなのです。しかし、第一からすでに始まっていた、「境界線の破壊」あるいは2律背反、シニカルでかつ滑稽な悲観主義という、彼そのものが音符の間に凝縮してしかも計算づくで詰め込まれ、交響曲という境界線で崩壊の寸前ぎりぎりでで踏みとどまっている、そんないわばマーラーの存在意義のようなもののひとつの完成された形が、この第6だと思うのです。
第一楽章から、私の大好きな行進曲主題が現れると、すぐさま「アルマの主題」と呼ばれる美しい第2主題になだれ込みます。この辺のお話は、第3でお話した映画「マーラー」をマーラー主題にかぶせる手段に使われています。(見られた方はお気づきでしょう!)短い第二楽章から、第5のアダージェット同様、陶酔的な美しい第三楽章へと続きますが、これも実は、古典のもつ緩徐楽章ではない仕組まれた、マーラーのもつ両義性に彩られた楽章なのです。
そしていよいよ第四楽章。CDだと2枚目にはいります。またもや30分を超えるこの楽章では、なんと「ハンマー」が登場します。そして「フィナーレ」として通常「勝利と歓喜」に上り詰めてゆくシンフォニーあるいはあなたを、なんと3度にわたりこのハンマーが打ち砕くことになります。それは、よく語られる「英雄」を倒すことを意味するのではなく、交響曲という概念・枠組みそのものを打ち倒そうとしているのではないかと思うのです。だからこそ、彼はあえて3度目のハンマーを、後に彼自身によって削除し、タムタムの強打に置き換えたのではないでしょうか。つまり、「英雄」ならば最後の一撃が必要でしょうが、彼の企てた計画は、すでにこの曲そのもので完成され、最後は象徴としてのピリオド、終止符として、あえてハンマーではなくタムタムとなったのではないでしょうか?
この曲は、聴けば聴くほど、彼の策略に出会い、また緻密に計算された罠を見つける旅となります。もちろん、単に20世紀初頭の(最後の)交響曲として聴けば、それはそれで素晴らしい作品でもあります。
[CD聞いてみてちょ!]
■バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967)
なんといっても、この曲はこの録音でしょう。バルビローリ68歳のこの演奏は、迫り来る軍隊の行進、コーヒーカップから溢れるほどにてんこ盛りとなった砂糖状態のアルマへの思い、ひと時だけ天上と地上の狭間を漂わせる、弦の響きがはかなくも美しいアダージェット。そしていよいよ最後は完全に確実に、振り下ろすハンマーで打ち倒されます。3度も、いや2度も必要ありません。私たちは、気がつくとこの世に生きていて、泣いたり笑ったりしながら、あるときは美しい夢を見、そして運命によって打ち倒されるのです。マーラーの真髄が見たい方、心の強い方に聞いていただきたい一枚です。3年後には、バルビローリ自身が、天上へと召されます。
■ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1995)
ボヘミア生まれのノイマンの晩年の再録音。穏健派として慣らしてきた彼が、響きと表情に丹精を込めて聞かせてくれます。前述の切り立った、とがったマーラーではなく、切々とした穏やかな中に、マーラーの意図したロジックを再現しています。いわゆる理論派の作品にはない人間マーラーの暖かい心を見ることができます。そうは言っても、もちろん最後には、お約束どおり打ち倒されることになるのですが・・・女性の方や、人を暖かい視線で見たい方は、こちらがお勧め。彼もなんとこの録音の後、天上に召されます。