2005.03.04
DEEP PURPLE / COME TASTE THE BAND (1975)
前回のツェッペリンに引き続き、歴代ハードロック界の大御所パープルの登場です。が、しかし、私のお勧めは「マシン・ヘッド」でも「ライブ・イン・ジャパン」でもなく、「カム・テイスト・ザ・バンド」です。(ああっ、座布団を投げるのはやめてください)
前回もお話したように、我々の神様は「クラプトン」であり「ジミー・ペイジ」であり、そしてパープルの顔「リッチー・ブラックモア」であり、特にリッチーはフェンダー大好き人間だけでなく、多くのギターフリークをコピー少年へと引きずりこみ、多くのストラトキャスター、もしくはそのコピーモデルの販売に助力したものです(笑)。彼の腰のあるフレーズは、そのまま「ブリティッシュ・ハード・ロック」の代名詞と呼んでもよいと思うのです。
パープルは、第一期と呼ばれる68年の結成から70年ごろにかけてのオリジナルメンバーに対し、イアン・ギラン(v)とロジャー・グローバー(b)が加わった第2期をその黄金時代と呼ぶ人は多く、その間発売された「イン・ロック」そして伝説の「ライブ・イン・ジャパン」を世に残します。特に後者に納められた「Smoke On The Water」での、イアンのボーカルとリッチーのギターの掛け合いという前代未聞のアドリブ合戦は、世紀を超え、世代を超えて受け継がれるべき大作だと思います。その後、2期で加わった二人がこんどはごっそり脱退し、変わりにディビッド・カヴァデイル(v)とグレン・ヒューズ(b)が加わり、よりアメリカナイズされた第3期を迎えます。この時期には「BURN(紫の炎)」というアルバムもありましたが、かつてのB.H.R.の英雄は、ポップな色合いを強めることにより、そのアイデンティティを次第に失ってゆきました。
そしてついに結成から7年目、それまではっきり言って1枚看板であったリッチーが、なんと脱退するという事件が勃発します。1975年のことでした。これまでのパープルの歴史を見てきたロックファンにとって、これはパープルの完全なる「死」を意味し、変わってリッチーが結成した「レインボゥ」が、パープルの正統な継承者となるであろうと思っていました。しかしパープルは踏ん張ります。大黒柱のリッチーの代わりに、20台前半の若きギタリスト、トミー・ボーリンを加えて活動を再開し、75年に発売されたのがこの「COME TASTE THE BAND」だったのです。「COME TASTE THE PURPLE」じゃないところが彼らの意気込みというか、覚悟を感じて、いいじゃないですか!?
トミーのギターは、確かにリッチーのようなウルトラ・ハイテクニックではありません。しかし、リッチーとは違う独特の粘りのある、いやリッチーよりももっとフェンダー臭い腰の強いサウンドと、スライドを多用したブルース・フィーリングのある音色は、新生パープルを霧の中のアメリカナイズド・バンドから、固有名詞の「DEEP PURPLE」へと変貌させるには十分だったと思います。1曲目の「COMIN' HOME」から、「パープルは生粋のギター・バンドだ!」と言わんばかりのハイスピード・ピッキング。ディビッドのボーカルもついてゆくのがやっとって感じです。またトミーは9曲中7曲のクレジットにその名を並べ、パープル・サウンドにファンクやレゲエのフィーリングも持ち込みました。特に私のお気に入りは、A面3曲目の「GETTIN' TIGHTER」、同5曲目の「I NEED LOVE」、B面3曲目の「THIS TIME AROUND」そしてラストの「YOU KEEP ON MOVING」。このアルバムこそが、私にとってのパープルの始まりであり、終わりなのです。
一方のリッチーは、自ら結成した「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」(のちに単にレインボーに変わる)の同タイトルのアルバムを発表。1曲目の「Man on the Silver Mountain」では例のスモークを髣髴させるギターフレーズで、パープルのこのアルバムと真っ向勝負となります。2枚のアルバムをめぐる勝敗は、あちこちで激論となり、もちろんリッチー・フリークたちは、ストレートなロックを再現させた後者に軍配を上げました。ただ私は、70年代と言う変わり行く時代の中で、新たな方向性を結実させたこの「COME」にあっさりと「勝ち」の一票を投じたのでした。
しかし、この直後だったかと思いますが、トミーは過度のヘロイン使用により、若き才能を灰に帰し、パープルもそんまま消滅してしまいます。(後に再結成されましたが、これをパープルとはあえて言いません)このニュースを聞いた時、「ばか者が、大バンドに入ったと思って、調子に乗りやがって!」と怒り狂ったものですが、今思えばやはり彼にはとてつもなく大きな「リッチー」という重荷が、十字架のようにのしかかっていたのかもしれません。真相は定かではありませんが、こうして私のパープルは始まり、そして終わったのでした。
「If you want to taste the DEEP-PURPLE,COME TASTE THIS ALBUM」