2005.04.07

CLASSICS

グスタフ・マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 (1906年)

 怒涛のマーラー交響曲全集も残すところあと4曲となりました。でも、まだまだ難攻不落の曲が続きます。前作の第7も難解でしたが、今回の第8は難解というよりは、どこからどう捕らえればよいかさえわからないような構成と、別の意味での大作です。

この第8の構成は・・・

第1部 「讃歌:来たれ、創造主たる精霊よ」
第2部 「「ファウスト」の終章」

オーケストラ:170名
(うち弦楽器84名)
S,A,T,B,Bsの独唱とS,A,T,Bの2重合唱
児童合唱 合唱計:850名

指揮者、オルガニストを含め総勢1030名
(別名「千人の交響曲」と呼ばれます)

 さて、小さなまな板の上に載せられたこの巨大なシロナガスクジラのような得体の知れない食材を、どう料理すればよいのでしょう。何の事前知識も、先入観もなくこの曲を聴けば、一体どう解釈すればよいのか、どこから手をつければよいのか、しかしBGMとして聞き流すこともままならず、混沌の濁流に投げ込まれてしまいます。では、私がどのようにしてこの長大で掴みどころのないような大作を受容したのかをお教えしましょう。

 あなたは今、とある音楽ホールにいます。時は1910年9月12日。黙示録の再現はついに起こりはしなかったけれど、まだまだ世紀末独特の空気に満ち、また啓蒙主義の幻想が露呈し始めていた頃です。知識人は「死」と「エロス」を語り、また総合芸術として文学や絵画と音楽との融合、「ユーゲントシュティール」が叫ばれていました。そんな世紀末を引きずり、また暗くよどんだヨーロッパ大陸の中でも、科学技術や芸術において時代の先端を突き進んでいた文化都市ミュンヘン。とある音楽ホールと言っても、実は「ミュンヘン博覧会新祝祭音楽堂」と呼ばれる、コンクリートとガラスで出来たモダンな建物です。発売後すぐに完売したチケットをやっとの思いで手に入れ、とある席に着いたあなた。隣の席には、シェーンベルク、リヒャルト・シュトラウス、ジークフリート・ワーグナー、ラフマニノフ、ストコフスキーなど早々たる音楽家が席を占めています。そう思って回りを見渡すあなたの目に飛び込んできたのは、シュニッツラーやホーフマンスタール、トーマス・マンらこの時代の文壇がそのまま移動してきたような風景。遠くの貴賓席には、ベルギー国王やフォード1世の姿も見えます。そして、いよいよ初演の開演。舞台には200名近い演奏家とともに、800名以上の合唱団が整列しました。そして、パイプオルガンの和音とともに大合唱が始まります。

 これが、マーラー生涯の中で最も成功を収めた、第8交響曲の初演の模様です。こうして、この時代とそして、ここにたどり着いたマーラーその人を視野に入れながらこの曲を聞いてみれば、すでに交響曲という枠の中では捉えきれないマーラー音楽の姿と、「やがて私の時代がやってくる」と語ったマーラーの、時代を超えて響きわたる音楽としての音楽になんとか凡人の我々も寄り添うことが出来ようというものです。

 第2部で歌われるゲーテの「ファウスト」からの詩の中に「永遠に女性的なるものが、我らを高みへと引きゆく」という歌詞があります。「永遠に女性的なるもの」とは、当時亀裂が生じはじめていたマーラー夫妻の妻に対する賛辞なのか、それとも彼がうまれながらにして持ち育った、「ユダヤ的なるもの=女性性」なのか?また「高みへと引きゆく」ことは、マーラー自身の信仰告白なのか、それともまたしても我々は、彼の一流のパロディにだまされているのか・・・答えはあなた自身の中にあります。

CD聞いてみてちょ!]
■ショルティ指揮 シカゴ交響楽団(1971)
デッカの24ビットリマスター版による71年ショルティ・シカゴ響の演奏です。彼らがヨーロッパの演奏旅行中に録音したもので、オルガンのみリンツ聖フロリアン教会で別録音されています。ソリストや合唱の出来もよく、またオーケストラ自体の出来や、声楽とのバランスもよく、壮大にこの曲の持つ宇宙観に浸ることが出来ます。マーラー自身が弟子に語ったように「宇宙が鳴り響く様を想像してください」のごとく・・・これがインバルあたりだと、もっと緻密でクールになるんでしょうねぇ・・・輸入版ゆえ、歌詞の内容は全く不明です。^_^;

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