2005.09.15

COLUMN

「実るほど 頭をたれる 稲穂かな」

SOULVILLE by The Ben Webster Quintet (1957)

随分と涼しくなってきました。朝から昨日の講習の2日目。短時間の集中講座で喋るほうも大変でしたが、聞くほうの受講生の方々も大変だったっと思います。来年は少し方針を変えましょうと、担当の方と方針検討。夕方、無事2日間の予定を終え帰社。手配やら状況確認やらその他報告を受け、夜の講習に突撃。いつもどおり9時に終了しましたが、今日はそのまま直帰することが出来ました。所長、お手間をおかけしました。いよいよ明日は週末の金曜日。ところが新しいお客様との打ち合わせの予定を土曜日午後に入れてしまうし、来週は3日の就業日は予定ぎっしり・・・予定が予定と違う・・・こうして「貧乏ひまなし社長」は週末に突入です。

「実るほど 頭をたれる 稲穂かな」という明言があります。今はまだまだ、実るなんて遠きにありて思うものではありますが、いつかそうなったとしても、頭(こうべ)は低くありたいものです。さて、その頭(こうべ)のたれかたですが、3種類のたれ方があることをご存知でしょうか?まずは軽く頭を下げる。会釈といいますか、角度で言えば10度くらいでしょうか。軽い挨拶や不特定多数への謙譲などに行います。次は中間の下げ方、角度は30度くらい。これは偉い人や個人への深い感謝や尊敬として行います。そして最後は45度くらい。こうなると、ほとんど倒れんばかりですが、これはお顔を拝見することもままならぬような方に対してとか(神様へとか)、そんなことをしでかしてしまったときとか(笑)いわゆる「深々とお辞儀する」というやつです。いずれの場合も「首だけピョコッと」なんてことは絶対にいけません。気持ちなどと言う情動に近いものではなく、精神において行う行為。これがお辞儀をするということではないでしょうか?頭を下げながら目はその辺を漂っていたり、晩酌のことなど想像したりするのはもってのほか。頭を下げると言うよりも、差し出した首をはねられても仕方がないくらいの覚悟と統一した精神で行いましょう。これって「武士道」ですかね?西洋ではなにかと握手したり、抱擁したりしますが、お辞儀は日本の伝統。ハリウッド映画などで見ると、結構間が抜けて見えはしますが、背筋をピンと伸ばし腰からしっかりと曲げお辞儀をし、感謝をあるいはわびの言葉をきちんと伝える。美しい姿だと思います。伝えるべきことが単なるお辞儀をしている姿などではなく、その精神であることをもう一度よーく考え、今自分がすべきお辞儀は3つのうちのどれなのか、そして覚悟を決めてやりましょう。きっとあなたの思いは相手に届くはずです。許してくれるかどうかは別問題ですが・・・

今夜はベン・ウェブスター・クインテットの「SOULVILLE」。JAZZは1930年代から1960年代にかけて、「スイング」から「ビ・バップ」「ハードバップorクール」そして「モード」「フリー」と変遷してゆくわけですが、スイングやビ・バップのまま60年代を迎えたミュージシャンも数多くいました。ベンもデュークエリントン楽団などで名声を得た後独立しましたが、前記のような流れに乗ることなく、独自のビブラートの利いた野太いテナー演奏を続けます。コールマン・ホーキンスの多大な影響を受けたことは、同時代のレスター・ヤング同様。アーシーなどという表現もありますが、テナーサックスという楽器が本来持っている男性的な響きを最も大切にした一人だったのではないでしょうか?コルトレーンやロリンズのような吹き方、生き方もありですが、ジャンルやモード(流行)にこだわらずひとつの楽器としっかりと向き合う。楽器を通しての自己表現ではなく、自己を通しての楽器の表現というような、独特の音色とメロディを聞かせてくれます。このクインテットはオスカー・ピーターソンのピアノトリオにハーブ・エリスのギターを加えた5人。ハードバップ全盛時代に、JAZZが本来的に持っている生活観のあるエネルギー、爆発するような激しいものではない、心臓の鼓動のようなしっかりしたものを伝えてくれます。CDになってプラスされた3曲は、なんとベンの弾く「ブギウギ・ピアノ」お勧めは、5曲目の「WHERE ARE YOU」。行く先知れずの恋人を思って、ベンの背中が泣いています。テナーサックスの普通の楽しみを探している方へ。

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