2005.10.09

CLASSICS

ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 (1878年)

今日は休日なのに早起き。理由は簡単、芝刈りでした。出だしから、ボギーひとつはさんで3連パー。その後は・・・気を取り直して、そうそう音楽の話でしたね。3週ぶりのクラシック投稿になります。今回は3大ヴァイオリン協奏曲の最後、ブラームスのニ長調協奏曲です。ベートーベンで近代のヴァイオリン協奏曲が完成され、メンデルスゾーンが新機軸とヴァイオリンの持つ音色の美しさを極限まで表現しましたが、ブラームスは彼の持ち味である重厚で緻密に編み込まれたシンフォニーと、感性にしっかりと触れるようなヴァイオリンとの均整と調和の取れた、美しいコンチェルトを作りました。

彼がヴァイオリン協奏曲を作るきっかけになったのは、当時の著名なヴァイオリニストであるヨアヒムとの長きにわたる厚い友情と、作曲の前年に聴いたサラサーテの演ずるマックス・ブルッフのヴァイオリン協奏曲の、その耽美的な音色に惹かれたことによるといわれています。そしてもうひとつ、この曲の誕生の背景には、かの交響曲第一番の作曲が終わり、周囲の高い評価を得、作曲家としての自信を持った彼が、お気に入りの避暑地ペルチャッハの穏やかな気候の中で作曲した「ブラームスの田園」と呼ばれる美しい風景画のような第2交響曲とも関連があります。特に第二楽章のアダージョなとは、この2曲が双子の関係にあることを強く感じさせます。もちろん、師と仰ぐベートーベンのヴァイオリン協奏曲の彼なりの解釈とも言えるし、またモーツアルトやバッハの協奏曲の影響もその根底にはあるように思えます。

そのヨアヒムの積極的な演奏活動と、当時のヴァイオリニストの多くがこぞって取り上げたことによって、彼の唯一のヴァイオリン協奏曲は絶賛のうちにヨーロッパ中に広まります。しかし、彼が大きな影響を受けたサラサーテは、ヨアヒムとの対立した存在であったがゆえ、彼曰く「ブラームスの協奏曲自体がいい音楽であることを私は否定しない。だが君は、アダージョでオーボエが全曲での唯一の旋律を聴衆に聞かせているとき、私がステージでぼんやりとヴァイオリンを手にして立っているほど私が無趣味だと思うかね?」だそうなのです。ただ、このあたりが、ブラームスのブラームスたる所以であり、彼の曲が美しさや構築性にのみ秀でているわけではなく、まぎれもないブラームスの手による唯一のヴァイオリン協奏曲そのものなのでしょう。

全曲を通して、「ブラームスらしい」重厚なシンフォニーと美しいヴァイオリンの響きが時に協調し合い、時に対峙しあいながら、ドイツの深い森が車窓に流れるような、そんな時間が過ぎてゆきます。サラサーテに酷評だったアダージョのオーボエの美しい旋律も、ブラームスらしさ、ブラームスの時を届けてくれます。彼のシンフォニーはちょっととおっしゃる方にも、是非聞いていただきたいこの世の美しい音のひとつです。

〔CD聞いてみてちょ〕
■ダヴィッド・オイストラフ(Vn)クレンペラー指揮フランス国立放送局管弦楽団(1960)
ブラームスのこの協奏曲は、交響曲同様ベートーベンの直系であり、内容的にもオケを選びます。一本のヴァイオリンときちんと対峙できなければいけない。もちろんソリストの超技巧が要求されることは言うまでもありません。私の一押しは、二人の巨匠のとらえたブラームス。オイストラフ独奏、クレンペラー指揮のこのアルバム。フランスのオケとは思えない重厚な演奏は、ブラームスのシンフォニーそのもので、オイストラフのストレートな切なる音色をしっかりと支えています。比較的ゆっくりと演奏されていますが、逆にその分、緩急の差が激しく、緊張感を持ってその美しき音色を耳にし、またゆったりと浸ることも出来ます。この曲の正しき一枚といえばこれではないでしょうか?

■アンネゾフィー・ムター(Vn)カラヤン指揮ベルリンフィル(1981)
こちらは、ムターの弱冠18歳の時の演奏、オケはカラヤン&ベルリンフィルですから、紛れもないドイツの音。ただし、彼女の演奏するその音色は、若く初々しくそして柔らかく美しい。ちょっときばって挑戦的にすぎるようなところも時折見受けられますが、作曲当時の天才少年少女たちのこの曲に対する思い入れを知るには、こちらのほうがいいかもしれません。ヨアヒムによるカデンツァやアダージョの折れそうなほどほっそりとした美しさはムターならでは。広大な大自然が優しく歌姫を包むようなその演奏は、前述のオイストラフの丁々発止とはまた違った、この曲の美しさをしっかりと伝えてくれます。センチメンタリストもしくは女性の方に。

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