2005.10.10

ART

《フェルメール 完結した小宇宙》

ヨハネス・フェルメールは、1632年オランダの小都市デルフトに生まれました。その50年程前にスペインから独立した当時のオランダは、1602年に東インド会社が設立され、交易と文化や学術において「黄金時代」を謳歌していました。時代はルネッサンスから、「感情表現」のバロック時代を迎え、ルーベンスやベラスケスが活躍する躍動の時代であり、オランダには巨匠レンブラントがいました。しかしフェルメールは、その名を世に広めることもなく1675年 43歳の若さで、多額の借金と11人の子供、そして全36点といわれる絵画を残しこの世を去ります。その後19世紀半ばまで知られることのなかったフェルメール。フェルメールが、そして謎の多い彼の作品たちが、400年後の我々に語りかけてくるものを、17世紀の彼の目を通して見て行く事にしましょう。

 1日目 カメラ・アイ 

《真珠の耳飾の少女》 (ターバンの娘)
1665〜66年頃 油彩 マウリッツホイス美術館



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振り返った少女の一瞬のまなざし・・・フェルメールはこの一瞬を逃さなかった。そしてひとみには物語が宿る。口元が許す親密さと、何かを語ろうとするまなざし・・・構図もライティングもすべてが計算され尽くされてなお、偶然を装う。そして写真という技法では決して表現できない立体感。彼の目は、カメラが誕生する何世紀も前に、すでにカメラを越え、三次元化されていた。彼のシャッターが捉えたものは、我々の住む銀河系をかすめて遥かかなたへとすべるように飛んでゆく銀河そのものかもしれない・・・

《真珠の耳飾の少女》 (部分)



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何か物言いたげな瞳と、わずかに開かれた口元、そしてテーマとなっている真珠の耳飾という光る三角形を、しっかりと受け止める青いターバン。ちょうどカーテンが開かれたように垣間見えたこの世界は、真っ白に輝く服の襟の上に浮かんだ小さな宇宙であり、そしてこの宇宙は我々が住む宇宙とは異なっていた。
(ガリレオが望遠鏡を使って天体観測をはじめたのは1610年のことだった)

《カメラオブスキュラ》


「カメラ」という用語は、ラテン語で「暗い部屋」あるいは「暗い箱」を意味する「カメラ・オブスキュラ」に由来する。最初のカメラ・オブスキュラは、1枚の壁にごく小さな穴のある暗い部屋であった。この穴から部屋にさしこむ光は、反対側の暗くした壁に像をうつしだす。この方法でつくられた像は上下が逆になり、ぼやけていたが、芸術家たちはフィルムが発明されるずっと以前に、小さな穴が投影する像を手でスケッチするために、この装置を使用した。レオナルド・ダ・ビンチも1490年にカメラ・オブスキュラの可能性をのべている。初期のものから3世紀以上が経過して、16世紀にはカメラ・オブスキュラは手でもてる大きさの箱へと発達し、小さな穴には像をシャープにする光学レンズと絞りがとりつけられた。フェルメールがこの装置を使用したことが伝えられている。
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  2日目 「場」からのメッセージ

《手紙を書く婦人》 
1665年頃  油彩 ワシントン・ナショナルギャラリー



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視線が生きている。婦人の視線は画家であるフェルメールに向けられたものではなく、同時代の人々に向けられたものでもなく、まして400年後の我々に向けられたものでもない。この視線は天地創造の物語そのものであり、放射線のようにそこに存在する小宇宙を表すものとして、彼女から(小宇宙から)発信されたメッセージとなる。それは物質的存在ではなく、「知」の集合体として右手に持つペンの方向へ、ゆっくりとすべるように動いている。そしてこれは決して幻ではない。


 3日目 幾何学との戦い(あるいは銀河の想像)

《赤い帽子の娘》
1665年頃 油彩 ワシントン・ナショナルギャラリー



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 一般的には神経質なほどの筆使いで表現されたフェルメールの作品の中にも、驚くほど荒々しい筆使いが見られる作品がいくつかある。赤い帽子のつばと襟元が示す均整の取れた幾何学に対峙し、彼はとてつもなく荒々しい筆遣いで真っ向から戦いを挑んだ。それは彼の住む現実の世界と、異次元空間に浮かぶ別の宇宙との総力戦だったのかもしれない。戦うべき相手は時間を超え飛び去ろうとしている。炎のように回転しながら、そしてモナリザのような微笑(やさしさ)をたたえながら・・・この戦いに勝敗はない。永遠の存在意義として。


 4日目 トリック & トラップ 

《牛乳を注ぐ女》
1658〜60年頃 油彩 アムステルダム国立美術館



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フェルメールの特徴である足元の切れた人物像と左手の窓から差す光、そして正面の壁には地図が・・・・・・描かれていない。何故?
 この絵にはさまざまなトリックと罠が仕掛けられている。おそらくは最初描かれ、そして消されてしまった壁の地図、一筋となって流れ落ちる牛乳とその重さで垂れ下がった壁にかかった籠の過剰なまでの重力表現。そして遠近法の学生を装いながら、この科学的解決法をまったく無視したテーブルの罠。すべてがこの女性の存在感を高めるためのトリックである。そしてこの女性像は、考えられうる限りの幾何学的配置の上に置かれている。ここでの彼は、ありのままの現実を徹底的に解体し、否定し、そして彼の信ずるところのひとつの宇宙を勝ち取っている。


 5日目 天地創造

《秤を持つ婦人》
1664年頃 油彩 ワシントン・ナショナルギャラリー



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この作品は他のものよりもより具体的に、「場」としての宇宙を表現している。彼女の持つ空の秤に掛けられるのは、木や草や動物たち、石ころや山々、人間とその心。つまりこの世におよそ存在するすべてのものである。彼女は絶対存在としての神であり、その「場」そのものである秤は「場」の力によって計られる。また彼女の体内には新しい命が宿っている。それは神の子ではなく、彼女が創造する新しい宇宙なのかもしれない。ここでは壁に掛けられた絵は、地図ではなく「天地創造」そのものとなっている。


 6日目 「場」としての神、もしくは宇宙

《レースを編む女》
1669〜70年頃 油彩 ルーブル美術館



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 ダリはかつて、彼女の針の先に宇宙の中心を感じた。それは彼の作品「フェルメールの〔レースを編む女〕に関する偏執狂的=批判的習作」に見て取れる。しかしそこが中心なのではなく、彼女を含めたこの絵に登場するすべての物が、この針先の場に向かって収束しているとも思える。ここはいわばブラックホールの入り口なのかもしれない。(ダリの時代にはブラックホールの概念はなかった) しかし、そこを通り抜けた存在はすべて、現世と言うこの世界から完全に根絶され、時間と空間を越えた絶対存在としての場の中に属してしまう。いや、こうしてこの世を謳歌しているように見える我々の存在すべてが、最初からこの場を構成するちっぽけな存在なのかもしれない。この「場」から命という放射線が激しく噴出している。神の仕業として・・・


 7日目 ダリの嫉妬 もしくは乗り越してしまった20世紀

《画家のアトリエ》  (絵画芸術)
1666〜67年頃 油彩 ウィーン美術史美術館



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 まったく別の世界を覗き見るようにそっと開かれたカーテンの向こうには、洒落た洋服の画家がモデルを相手にカンバスに向かっている。ここには「場」の重力は感じられない。それは、このカーテンで隔てられた向こう側、我々が覗き見ているこのアトリエでの仕業そのものが、彼の描いた「場」としての宇宙だからなのかもしれない。モデルに月桂樹の冠をつけさせることによって、彼が神自身を創造しようと企てているようにも思える。それは明らかな冒涜であり、そしてアバンギャルドでもある。閉ざされ選ばれし者のみの宇宙の正体。ダリはこの画家自身の夢を見ることになる。彼もまた、ガラの肩越しに絶対存在としての神を、場としての宇宙を見ようとしていたのかもしれない。


 《場としての宇宙、もしくは存在そのものとしての場》
 「ハジメニ言霊ガゴザッタ」 これは、幕末の頃J.C.ヘボンが訳した「ヨハネによる福音書」の冒頭の一句です。現在では「はじめに言葉ありき」と訳されていますが、本当のところは言霊、つまり霊的なものがあるのではないでしょうか?そしてそれは、目に見えず、聞こえもせず、その存在を確かめることすら出来ない宇宙、一般的に我々の言う宇宙とは異なる「場」としての宇宙が存在するのではないでしょうか?輪廻の舞台となる曼荼羅も、この「場」としての宇宙を視覚的に説明する手段だったのではないでしょうか?

 そう思えば、「絶対真理」とはどうしても思えないような新興宗教に若者をはじめ多くの人たちが大挙して集まるのも、理解できるような気がします。彼らはそこに「場」のもつ引力を感じ、そして吸い寄せられてゆくのではないでしょうか?

 「場」の乱立は否定されるものではありません。そこここにあってしかるべきでしょう。しかし、本来の「場」はすべての源であり、すべてを包み込み、決して外に対して自己表現することはありません。つまり単一の共通言語として顕在化され、著しく記号化されたものをもはや「場」とは呼べないでしょう。

 この天国と地獄の終末論と輪廻との対立を超えた絶対真理としての「場」は、身の回りのそこここにあり、人の時間軸の中では生まれては消えるように見える。そんな神とあがめられ、真理として受け継がれる宇宙が、フェルメールの目には映っていたのかもしれません。

 もしかするとその「場」とは、万物の存在そのもの、あるいはフェルメールが遥か昔に描いた作品を鑑賞する現在の私たちの心そのものなのかもしれません。

注:このフェルメールに関する考察は過日、彼の作品展を鑑賞して感じた全くの私見であり、客観論ではないことをくれぐれもお断りしておきます。

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