2005.10.18
「必達:ルールを守れ!」
Return To Foreever by Chick Corea (1972)
今日は午前中からお客さまを訪問して、案件の打ち合わせ。いろいろとお話をお伺いし、充実した1時間でした。ありがとうございました。午後からは、ネットワーク調整作業。誤って初期化してしまった無線プリンタサーバや、弊社で納めたものではない無線コンバータの再設定に手間取ってしまいました。技術にノウハウがついていっていない。反省ですね。戻って案件打ち合わせ内容の引継ぎに、その他書類やメールなどのチェック、返信。あと見積書や契約書に捺印。これも大事な仕事です。もちろん、午後の反省も共有化。ネットワーク設定中に、機器を設置してある倉庫の低い天井の鉄骨の梁に頭をぶつけおおきなたんこぶ、ちょっと頭痛がするので早々に帰宅しました。大したことは無さそうです。
昨日は、千葉ロッテの優勝でちょっと感激していましたが、実は悲しいニュースもありました。カリフォルニアのビッグホーンGCで13日から4日間に渡って行われていた、「サムスン世界選手権」で、プロデビュー戦を迎えたミシェル・ウィーがなんと失格になってしまったのです。15歳で身長183cm。女子ならではの柔らかさと同時に、長身を生かしたシュアーなフォームから繰り出されるドライバーショットは300ヤードと男子プロ並み。とにかく美しいスイングに惚れ惚れしてしまいます。事前に発表されたスポンサーフィーはSONYとNIKEの2社で11億円。そんな彼女の、初任給を目指しての注目を浴びた一戦だったのですが・・・
大会3日目のロングホールの途中で、クラブを振ってボールを飛ばせないような木々の茂みみたいなところに打ち込んでしまいます。こんな時はペナルティを受けてボールを打てる場所まで移動して打つことが出来るのですが、もとの場所よりピン、つまり上がりの方向よりも遠くに置かなければならない競技ルールになっています。ところが何と彼女はここでケアレスミス。結果的に近寄ってしまったのです。この場合、さらにペナルティが課せられ、スコアが悪くなるのですが、彼女はそのミスに気づかず、ホールアウト後、最初の移動だけのペナルティを加えてスコアを申請。結果、追加のペナルティ分を過少申告したということで、あっさり失格となってしまったのです。(ゴルフを知らない方も理解できましたでしょうか?)端的に言ってしまうと、ちょっとしたミスが、結果的にあってはならない過少申告(100回打っておきながら80回だったと申告するのと同じ)をしてしまったのです。まあ、彼女にとっては、これから長いゴルフ人生が待っています。いきなり苦もなく上位でデビューするよりは、苦くいい経験(Bitter & Sweet)になったのではないでしょうか?でも、おじさんはこれからも応援してますよ!そういえば、佐藤琢磨も中国GPでフライングしてたなぁ。
さてさて、もちろん私たちにもルールがあります。会社ですから「労働基準法」も適用されるし「就業規則」や社内での「通達」「示達」もあります。もちろん社会人としての一般的なマナーとかも広い意味でルールになります。上司からの指導や注意も、ローカル・ルールですよね。しかし、それよりももっと大切な、守るべきルールがあります。それはお客様との約束事であり、決め事です。これはもう、絶対のルール。もちろんお客様の都合で、自社にとっては厳しいご要望もあり、調整が大変なことも多々あります。要望をお聞きして、それを単に「予定では・・・」とお答えするのと、きちんと「お約束」するのでは、天と地ほどの違いがあります。それが「契約」というものです。要求仕様、品質、納期、コスト。どれをとっても、お約束した以上、必ず守らなければならないルールとなります。ちょっとしたミスだと笑って許してくださる優しいお客様もいらっしゃいます。しかし、それはあくまでもお客様の善意であり、それに甘えるわけにはいきません。契約社会においてはルール違反、つまり犯罪とも言える行為となるのです。
案件の大小は関係ありません。どんな小さなご依頼でも、私たちはまず、その案件の持つルール、守るべきルールを明確にし、関係者で共有し、そしてケアレスミスを起こさないよう日々細心の注意を持って管理し、納品して胸をなでおろすだけでなく、ルールをしっかり守れたのか、検証を忘れないようにしなければなりません。TOPガンで教官に「ルールは君たちを守るために存在する」とさとされていたマーベリックを思い出しました。うちはまだ、5合目あたりですかねぇ・・・またまた日々努力。
今日のBGMはチック・コリアの「Rturn To Forever」。このアルバムがリリースされた1972年は、ジャネット・リンが銀盤を舞った札幌オリンピックがあり、沖縄が返還された年であり、映画にもなった連合赤軍の浅間山荘事件があった年でした。ベトナム反戦運動の終息とともに、ポピュラーシーンがヒッピームーブメントから清く正しく楽しめるポピュラー音楽と移り変わるように、JAZZシーンもフリーフォームの大波から、エレクトリックとロックビートとの融合により、「フュージョン」なるものが全盛となります。その先陣を切り当時ベストセラーとなったのが、このアルバムでした。かもめが水面すれすれを飛ぶシーンを使ったジャケットからして、これまでの酒とタバコと場末の夜の音楽であったJAZZが、一気に陽光の下に姿を現し、まるで19世紀印象派の作品のようにきらきらと輝きを放つようになります。「JAZZは死んだ」というつぶやきや嘆きも、このころよく聞いた言葉でした。アルバム自体は、「電子ピアノでは平ったい音しか出せない」と嘆いていたチックが、オリジナリティを求める過程で手にした、新たな粒立ちをベースに、美しいメロディが続きます。コアなJAZZファンを少なからず失い、またJAZZファン以外のファンを増やしながら、JAZZが新しい時代へと進化(?)してゆく、エポックメイキングなアルバムです。