2005.11.08
「フラットな組織が流行った本当の理由」
Time Out by The Dave Brubeck Quartet (1959)
火曜日です。今日の事前の予定は、夜の講習会のみでした。でも、午前中のファイア・コールで客先を訪問し、ファイルサーバお預かり。午後から部長と再度訪問し、修理完了までの応急対応をして、別のお客様を訪問。こちらは詳しくは部長のブログの通り。臨機応変に現場で対応することって、現場マン必須のスキルだし、本物の実力の有無を問われるんですよね。社員全員、早くそうなってもらいたいものです。夕方から、業務分担やプロセスに関するチーフレベルの会議。途中で退席しましたが、大切なことは指針・標準を作ることと、同時に現実のものをそれにあわせること。実現すべき目標は、現実と違って当たり前ですから、その現実、どうしようもない現実をいかに崇高な理想に近づけるか、それが仕事の本質であり、仕事そのものなのです。夜はWebデザイナー講習。今日は「Webプロデュース手順とe-Business各論」。ちょっとボリューム多すぎですね。時間が足りなくて、話す私もそうだし、受講生の方もきっと欲求不満のはず。次回からはもう少し内容省略します。
今日は以前の続き、「失敗の本質」の「戦略上の失敗要因その4」、「狭くて進化のない戦略オプション」についてのお話。論旨は、日本軍は厳しい訓練と教育、そして精神主義なるもので、優れた戦闘能力やオペレーションの器用さを生み出したがゆえに、戦略的思考が希薄であり、またその選択肢たるオプションは非常に狭いもので、また特に米軍と比べ後れたままであったということです。もちろん、戦略など持たなくても、精鋭部隊が連戦につぐ連戦であれば、何も問題は起こらないし、悩むことも思考する必要もない。ところが負けが込んでくると、今度は訳もわからず右往左往するだけで、突破の糸口が見つからないままに、最終的に手を上げるしかなくなります。ただ私が思うに、当時は「狭くて進化のない戦略オプション」しかとれなかったさまざまな事情があったと思うし、そうだから失敗だったとは言えないと思うのです。
たとえばアメリカ海兵隊は、太平洋戦争を通じて素晴らしい進化を遂げましたが、その根底には厳しい訓練と精神主義があったと思うし、守ることと攻めることの根本的な違いもあったと思います。それはアメリカ陸軍でも同じ事で、第3軍を率いてヨーロッパ戦線で破竹の快進撃を行ったパットン将軍を描いた映画「パットン」を見ても明らかです。その演繹のもとになった事象を紡いでいったとき、歴史が語る現代の私たちへの示唆は、いくら精鋭がそろっていても、組織が硬直化すれば、血液が流れなくなり、いずれはあちこちが「壊疽」すると言うことではないでしょうか?
軍隊のようなピラミッド組織は、時としてこの硬直という問題にぶつかります。風通しも悪い。私たちのようなベンチャーやIT企業は特に、このピラミッド組織を嫌い、フラットで気さくにTOPにメールが出来る、そんな自由な職場環境を求めます。しかし、長い歴史の中で、未熟な新兵を抱えた集団が、フラットなままで功績を挙げた話は聞いたためしがありません。仕事の本質が純粋に技術だけだとしても、技術伝承のための階層が必要ですし(親方:弟子)、マネジメントとは本来、個人レベルで全てが完結するものではないのです。それぞれのレベルでのマネジメントがあり、責任と義務を果たし、さざなみが大きなうねりとなる。これが集団としてのカンパニーのもつ力となると思います。それが、日本の終身雇用のいいところだとも思います。
私が理想とする組織は、常に学習を行う個人が集まり、必要なレベルでの個人と集団の自己完結、責任遂行体制があり、それらをつなぎより高次で同様のマネジメントを行いながら時間軸の中で成長してゆく、つまり常にマネジメントを通して学習する集団です。もちろん、全体としては無駄のない最小限の階層であり、かつ意思疎通や情報伝達の早い、そういう組織を目指しています。21世紀になり、組織のフラット化が叫ばれた本当の目的が、「リストラであった」ことを、若い人たちはしっかりと認識すべきです。混沌とした予測不可能な環境の中で、ただのフラットが生きのびてゆける限度は3人まで。5人になれば親方が要ります。それが5組集まれば、またその親分が必要。5組か10組かは、仕事の内容や集団の成熟度、親分の力量にもよりますが・・・「会社として、誰かの責任、誰が取るの?」ということなのです。
今夜からとうとう「D」に突入。デイブ・ブルーベックです。デイブといえば、ポール・デスモンド、そして「テイク・ファイブ」で終了・・・とまで言わなくても、まあ、他に何が?といわれると答えに窮してしまいます。これはひとえに彼が白人であったこと、当時の白人は「クール」が主流であったこと、ポールと出会ってしまったことなどなど・・・ポールもデイブとであったから、コニッツにはなれなかったともいえます。ただ、「テイク・ファイブ」でJAZZファンになった方も多いはずで、このまさにネイティブアメリカーナJAZZを、それはそれなりに楽しむのも一興かと。