2006.01.20
「やっぱり私のヒーローはストイック!?」
BLUE TRAIN by John Coltrane (1957)
早くも週末ですねぇ。今日は一日、会社に閉じこもって記者からの取材も全てお断りし(ない、ない)市民の方からの陳情もすべて延期していただき(ない、ない)システム案件の外部設計をしていました。外部設計といっても私に出来ることは、ほんのさわりの部分だけ。あとはプロにお任せするのですが・・・その後、明日のプレゼの準備やら調べ物やら。ポータル関連の社内調整などをしているともう夕方。夜はWeb講習で、今日が基本編の最終日。最後は生徒さんの作品の発表会とみんなで意見を出し合って、ちょっと定刻を過ぎて無事終了。みなさん、本当にお疲れ様でした。
今日、なんと朝青龍が連敗して通算3敗。ちょっと8連覇は厳しい状況になりました。さぞかし田舎の両親は喜んでいることでしょう。彼らは、朝青龍が勝って土俵を去る際の、あの勝ち誇った不敵な顔が大嫌いなようです。実は私も朝青龍にはあまり親近感をもてなかったのですが、正月のTV番組で、彼が夜一人でオペラを効きながら、気持ちを癒していることを知って、いきなり好きになりました。(単純)まあ、オペラと言っても、彼が聞いていたのは3大テノールのアリア合戦の例のアルバムなのですが・・・(90年物か94年物かは定かではありません)何よりも感動したのは、25歳の彼が、モンゴルのど田舎(?)からやってきて一人で相撲界をショって立ち、一日の終わりにオペラを聞いているということです。だからマイスタージンガーでなくても、トゥーランドットでなくてもいいのです、この際、うん、うん。
これは私の想像ですが、彼はすごく寂しがり屋だと思うのです。彼は、土俵の上で120%の力を発揮すること、誰にも負けない力士となることで、そんな自分の弱さに打ち勝とうとしているのではないかと思うのです。異国の人であり、そのあまりの強さに、ファンも少ない。番組の中でぽつりと「大勢の観客の中で、一人でも二人でも自分を応援してくれている人がいる。私はそんなファンのために、いい相撲をとりたいんです。」それは決して、圧倒的な強さを盾にした強がりでも、力の誇示でも、負け惜しみでもなく、ドルゴルスレン・ダグワドルジという一人の寂しがり屋の青年が、故郷を遠く離れた地で孤軍奮闘、一生懸命がんばるための素直な気持ちだと思いました。素敵だと思いました、勝手に。
そんな彼の今場所の負け相撲を見ていると、明らかに相手ではなく自分に負けている。彼の気持ちが、弱さ脆さを覆うことが出来ないでいました。「横綱とは強いもの。」そのとてつもない大きなプレッシャーと戦っている姿は、ファンの多い高見盛の腕をぶんぶんの鼓舞とは次元の違うものを感じるのは、私だけでしょうか? 経営者って、同じような思い、ありますよね? 社長さん! だから、がんばれ朝青龍。私は応援しているぞー!
BGMはコルトレーン。いろいろと思いのたけとかお話しようと思ったのですが、誰が聞くはずも無いという愕然たる事実に直面し、他のCDと同じように淡々とご紹介しようと思います。今夜はBN1577「BLUE TRAIN」です。コルトレーンと言えば「バラード」とおっしゃる方はご存じないかもしれませんが、このアルバムを録音する2年ほど前に、マイルスの有名なプレステージ・マラソンセッションに参加した時、「マイルスはなんであんなへたくそテナーを使うんだ」と騒がれたものです。確かにWORKIN'などで演奏しているコルトレーンは、まるで学芸会レベル。実は、雲隠れしてしまったロリンズの代わりに、マイルスが使い始めたのというのが真相なのですが、しかし根っからの努力家であったコルトレーンは、半年の間に飛躍的に上達し、また彼独特の音色を持つに至ります。そんな彼のオリジナリティが、ハードバップという時代の中で確立した瞬間を捉えたのがこのアルバムです。当時売り出し中のリー・モーガンにカーティス・フラーのフロント3管、ドリューのピアノにチェンバース&フィリー・ジョーというのは、アルフレッド・ライオンの仕掛けでしょう。しかしこのアルバムですでにコルトレーンはバップイデオムを通り過ぎ、後に有名となるシーツ・オブ・サウンドという細切れのモード表現が見え隠れしていて、モーガンの同様の細切れフレーズとは明らかに違うものを見せ始めています。いずれにしても、なんとか一人前になったコルトレーンのバップの聞ける数少ないアルバムの一枚。ブルー・ノートの3管を堪能ください。