2006.01.23
「規制緩和と放任主義」
SOULTRANE by John Coltrane (1958)
新しい1週間が始まりました。社内一斉清掃に朝礼、運営会議はいつもと同じ。今日は一日社内であれこれ。企画に見積りに計画、その数10項目あまり。それぞれに大なり小なり思考も検討も必要で、ない頭をひねりひねりで制限時間いっぱいとなりました。パソコンのデスクトップの付箋紙プログラムも減ったと思ったら増えたりで、結局残タスクは変化なし。夜は中小企業家同友会の例会で、今日は司会でした。お粗末さまでした。でも、グループ討議は結構面白く、とても有意義な示唆を得ることが出来ました。感謝感謝。その後2次会に行って談笑。こちらでもいいお話をたくさん聞けました。先輩の皆さん、ありがとうございました。
堀江社長は逮捕されてしまいましたが、先日の日曜日に堀江社長の携帯に番組出演を強制したTV番組を見た感想など。番組では与党と野党に別れ、「なんでこんな人を自民党は選挙で担いだのか・・・」という話から、自民党を責めるというシナリオでした。で、絶滅危惧種の政党の一人が、「規制緩和がこんな結果を生んでいる」云々。えーっと、これって近所の井戸端会議じゃないですよね・・・規制で守られている時は談合、規制をとっぱらうとHORIEMON。それではまさに、ビジョンなき私たち中小企業経営者と同じではないですか。(笑)規制を強化するか緩和するかは、国家政策としてとても重要なことです。アメリカが緩和だから、日本も緩和というのは、あまりにも短絡的思考ですが、近代国家の行く末はやはり規制を緩和し、政府を小さくしてゆく必要があると思います。大切なことは、そのための十分な準備ではないでしょうか? まさか、崩壊した超大国管理国家を今更目指すわけにも行かないでしょうに。
私たち中小企業にとって規制緩和というのはあまり関係がなかったり、あるいは業種によっては新規参入などで価格低下や競争激化を生む場合もありますよね。ただ、経済がグローバル化する中で、やはりいつまでも守ってくださいでは事はすまない。まあ、中小企業って、もともとあまり守ってくれる人は少ないのですが・・
うちの会社では、この「規制緩和」をブレイクダウンし、「権限委譲」を進めています。ちょっとニュアンスは違うのですが、どちらも同じような側面を持っていると思うのです。たとえば、これまでなら社長が最終的に見て了解したものをお客様に納めていた。で、権限委譲し、社長の決済を経ずとも世に出すことが出来るようになった。社長の権限を下位に委譲したわけです。なぜ、うちでは権限を委譲しているか・・・
1.(何はさておき)社長が楽をしたいから
2.下位の者あるいは担当者それぞれが責任感を持つようになるから
3.学習する組織(=柔軟な組織)の土壌が出来るから
上記の例ですと、制作を進めてゆくプロセスの中で、「品質評価ミーティング」を部署主宰で行うようにしました。もちろん私も招聘されますが、私がどうこう言うのではなく、それぞれが評価し合い意見を出し合う場を持つことは、それぞれに学習する機会を与えることになる。上からの一方的な指摘や指導ではない場所が得られると思うのです。
ただ、一方的な権限委譲は、放任にしか過ぎないことを、先日も身をもって知ることになりました。以前のブログに書いた、「やり直し事件」です。これは私が悪い。つまり規制を緩和したり権限を委譲する時には、そのことにより必ず発生するはずの問題に対し、きちんとリスクを想定し、そのためのルールや仕組みを同時に用意しなければならない。これは権限が究極個人のレベルに落ちたとしても、やはり必要なことなのです。
早速うちでは、再発防止のためのルールを徹底しましたが、野党の方々も「やれ悪い」「それ見たことか」ではなく、そのためには何が必要なのか、国会という議論の場では政局だけにとらわれず、そういうことを真剣に議論してもらいたいものです。そんな今日が、きっと未来の「福祉国家日本」の礎になると思うのですが・・・
今夜はコルトレーンの2枚目、「SOULTRANE」です。そもそも私がJAZZを聞き始めたのは、恥ずかしながらコルトレーンの「バラード」からでした。まあ、雰囲気といいますか、大人の世界を覗いてしまった少年だったわけですが、このアルバムは前回の「BLUE TRAIN」よりもそっちの路線に近い。特に2曲目の「I WANT TO TALK ABOUT YOU」は、映画「ブガッティ・ロワイヤルの女」のテーマ曲として使われ、フランス映画の持つ微妙な大人の香りと相まって、私を悪の道にどんどんと引きずり込んだのでした。昔は、メロウな部分ばかり聞いていて、気づきもしなかったのですが、コルトレーン自体は、マイルスのマラソンセッションを経て急激に進化し、その後のモンクとの交流からオリジナリティをも身につけ、前作ではまだ十分ではなかったものの、この作品では次のフェーズ、つまりモードに対する彼のスタンスをはっきりと聞くことが出来ます。
薬に溺れてマイルスに放り出され、モンクの元で学びここまで来た彼は、この後再びマイルスに呼ばれ、「マイルストーン」そして「カインド・オブ・ブルー」という名作を世にだし、一人のテナーマンから、ひとつの時代を築くことにります。フロントは彼のみ、ガーランドにチェンバースにテイラーというリズム隊のこのアルバムは、それゆえ確立しつつあった彼のオリジナリティをしっかり聞くことが出来ます。また、時としてモードに走りそうな彼を、ガーランドのさざ波のような右手が合わさって、ほどよい調和が保たれています。ハード・バップを聞きたい方も、ちょっとメロウなテナーを聞きたい方にも、またモードの起源を聞かれたい方にもお勧めできるアルバムです。