2006.02.15

COLUMN

「デザインはアートか・・・その2」

EXPRESSIONS by John Coltrane (1967)

今日は予報どおり、雨になりました。よく当たりますねぇ「net087」の天気予報。Yahoo! より正確かも! 今朝は、昨日を受けての緊急ミーティング。私は、言葉少なに。さまざまな試みをしていても、いつ何が起こるかはわからない。リスク管理の本質を垣間見たような気がします。今日も終日、社内でお仕事。特に自覚症状はないのですが、やはり疲労が蓄積しているのでしょうか? 昨日、知り合いの方と電話でお話しをしていて、「疲れてるのでは? 」と言われ、「いやーそんなことは」と思ったのですが、その方のほうが私のことをよく理解しているのかもしれません。今日こそ定時退社と思いきや、やはり午後9時を回ってしまいました。

さて、「デザイン」のお話の続きをば。ここで「デザイン」の定義を調べてみます。お得意のウィキペディアで早速検索してみました。以下、引用です。

デザイン(design)とは

目的をより良く実現するために、様々な要因を考慮し、それらを取りまとめて設計すること。その要因には、機能性、実現性、経済性、社会情勢など、目的を実現することに関わる全てが含まれる。その対象は、衣服、印刷物、工業製品、建築などにとどまらず、都市や人生計画にもおよぶ。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

んーなんだかよくわかりません。目的がないとデザインとは言えない?

広義のデザイン

デザインとは、日本語では「設計」にあたり、「形態」や「意匠」と訳されてきたが、それだけに限らず、人間の行為(その多くは目的を持つ)をより良いかたちで適えるための「計画」である。人間が作り出すものは特定の目的を持ち、それに適うようデザイナー(設計者)の手によって計画されるのである。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ということは、目的にかなうための計画行為がデザインといえるのでしょうねぇ。

狭義のデザイン

狭義には、設計を行う際の形態、特に図案や模様を計画、レイアウトすることで、芸術、美術的な意味を含んでいる。美術を実用品に応用するため、応用美術とも言う。また、商業的なデザインを商業美術とも言う。産業革命の影響により、デザインの意識が高まり、アール・ヌーヴォーなどの流行、バウハウスの機能主義など、常に時代の象徴を創造し続けている。その対象は、非常に多岐にわたり、さらに細分化される流れにある。(以下省略)
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

狭義で捉えると逆に「芸術」や「美術」という言葉との蜜月が必要となるのですねぇ。「アール・ヌーヴォー」に「バウハウス」が出てきましたが、そういえば私たちのWebデザインはまさにこの2つのせめぎあいのような気もします。「芸術との交際の仕方」に入る前に、次回はこの二つの芸術運動の意味をさらに探ってみます。

今夜は、コルトレーン最後の1枚です。前回紹介したエリントンとの共演アルバムの後、彼は当時の大きなJAZZのうねり、「フリー」の荒波に身をゆだねます。いえ、むしろ彼自身が運動の先頭に立っていたといえます。64年録音の「至上の愛」以降、フリー・フォームと独自の精神性の入り混じった、サウンドというよりは音の世界に入って行きます。しかし、彼にはいくばくの時間も残されてはいませんでした。1967年7月17日、40歳の若さで彼はこの世を去ります。その突然の死の約半年前に録音された、いわば遺作がこのアルバムです。激しいフリー演奏の真っ只中であったにもかかわらず、このアルバムにはどことなく穏やかであり、例えば真夏の夜明け前の、数時間後の猛暑など想像もできないような静かな朝焼けのような、そんな静寂をも感じます。「神になりたい」と言っていた彼を理解するならば、死の半年前にこのアルバムを録音したのもうなづける気がします。JAZZは彼の死とともに、フリー・ムーブメント自体が行き場をなくし、そして70年代に入るとクロスオーバーの新しい嵐の洗礼を受けることになります。私たちに宛てた、コルトレーンの遺言を聞いてみたい方に。万人にはお勧めしかねます。

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ここで視聴できますよ!

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