2006.02.20
「機能主義の向こうに見えるもの」
JUNKO ONISHI LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD (1994)
新しい1週間が始まりました。(と、恒例の月曜のご挨拶! )社内清掃に朝礼。今日の御題は「記憶」。社員さんの面白いお話を沢山聞けました。みんな、そのまんま「STAFFブログ」で使えるのでは? 恒例の発表を始めてどのくらいになるのでしょうか? 始めはしどろもどろだった人も、何やら流暢に話すようになりました。成長してます、進化してます。運営会議を経て、午後からお客様を訪問して新規システム案件の打ち合わせ。京都の会社さんとのコラボレーションになります。よろしくお願いいたします。その後、現場を訪問して納品済みのシステムの状態をチェック。別の担当部長さまといろいろ座談。話の中身はとてもここでは言えません、はい。その足で別のお客様を訪問して、データを受理。戻って手配やら何やらで、定時終了。今夜は、中小企業家同友会の例会に久々にオーディエンスで参加。勉強になりました。2つの支部合同の例会ということで超満員。日頃お世話になっている社長さんをお見かけしたので、ご挨拶をと思いきやはぐれてしまいました。失礼しました。ところで、社内に体調不良者が多い、んー困った問題です。暖房温度、高すぎ? やはりあの一撃が必要な時が、とうとうやってきたのかもしれません。あの一撃とは・・・またいずれ。
今日は宿題の「バウハウス」です。バウハウスとは、直接には1919年にドイツのワイマールに設立された工芸や写真、デザインを含む総合美術と建築に関する総合的な学校のことです。また、その後のここでの活動の流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術へのアプローチの事をさします。バウハウスが最も影響を与えたのは建築デザインの分野で、ワルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエなど、建築を目指した方にはもうお馴染みの巨匠たちが有名です。
これを現在の私たちの仕事に置き換えると、まあ情報系デザインとでも言いましょうか。ただ、モダニズム一辺倒だった建築デザインは、ポスト・モダニズムという運動を引き起こします。1970年も終わりの頃。実は私が大学で研究していたのがこの「ポスト・モダニズム」。チャールズ・ジェンクス『ポスト・モダニズムの建築言語』に触発され、フィリップ・ジョンソンやロバート・ヴェンチューリなどに傾倒したものでした。バシュラールを読破したのもこの頃。しかし、結局のところ画一性を嫌ったこの運動自体は、逆に建築家、つまり一人のデザイナーの恣意性に大きく振りすぎ、また必ず求められる経済性・効率性の点で大きく劣るものが多く、次第に衰退してゆきました。
私たちのウェブにももちろん経済性や利便性が求められます。またポスト・モダニスト達が目指したメタファー(暗喩)というのは、記号論などあまりにも難解です。現在、サイトデザインに当たり前のように求められている「ユーザビリティ」や「アクセシビリティ」は、やはりバウハウスの流れを汲む「機能主義」「合理主義」と言ってもいいでしょう。ただ、その創作がアイデンティティを持ちうるならば、それをはばかることなく「アート」と呼んでもいいのではないかと思うのです。なぜなら、ミースが設計した「ファンズワース邸」は、ユネスコ遺産に登録されているのですから。(*と書きましたが、登録はされていないと言うのが事実のようです。m(..)m)
ミースの残した言葉
"Less is more."(無駄な部分を削ぎ落としたデザインが、より豊かなデザインである)
さて、今夜のBGMも引き続き我が日本の生んだピアニスト、大西順子です。このアルバムは、JAZZのメッカ、ビレッジ・バンガードでのライブ録音。そうです、ご当地では日本人初物。(のはず)演目はミンガスの「So Long Eric」やらジョン・ルイスの「Concorde」など、聞きやすい曲ばかり。先週の上原ひろみと比べれば、明らかに正しくJAZZであり、彼女のスティディな右手と、しっかりした低音、でも時折見せるトリッキーなフレーズやブルージーなアドリブが彼女らしいところ。地味ではありますが、W・マルサリスバンドのベースと太鼓のセットが彼女のトリッキーな挑発をきちんと受け止めています。現代版モダンジャスのピアノトリオ。関西風の歌うピアノおばさんは好きになれない人も、必ずOKの正統派ジャズです。