2006.03.27

COLUMN

「ルールとは、守るものではなく守ってくれるもの」

QUIET KENNY by Kenny Dorham (1959)

3月の最終週が始まりました。土日が仕事だったので昨日の夜なんぞは、「さあ行くぞ!」の週明け前モードに全然ならず、「明日は日曜かなぁ???」なんてとぼけた状態でしたが、朝から恒例の社内清掃に朝礼とくれば、気持ちも頭も「リフレッシュ!」じゃない「リセット!」できました。月内案件やら来月案件の調整やら、新たにお請けしたお仕事の社内伝達やらをあれこれ。数件のお客様を訪問してご挨拶やらお願いやら。納品に対するお礼の言葉をいただくのは、この上ない喜びです。こんな時は必ずといっていいくらい、社員を誇りに思います。なかなか個性派ぞろいですが、本当に素晴らしい人たちが集ってくれている。最高です。私がいろいろと難しい注文をつけても、ちゃんとそれなりの答えを返してくれる、そんな頼もしさもちゃんと持っています。でも、うちでは現状維持はありえませんよ。失敗もいいです。でも必須事項は、日々成長です。

今日の朝礼の御題は「ルール」でした。皆さんのいろいろな意見、とても参考になりました。私見ですが、「ルール」とよく似た言葉に「法律」とか「レギュレーション(規則)」とか、あるいは「マナー」などがあります。適用の範囲とか寛容さとかで言えば、「マナー」>「ルール」=「レギュレーション」>「法律」といった感じでしょうか? 言うまでもなく、守るべき最低限の事が法律になります。つまりこれはマズローの5段階のうち、最も根源的な「生理的欲求」や「安全の欲求」に対応し、その法の元にある人間としての存在を保証してくれます。これが「ルール」になるともっと上位の「親和の欲求」、つまりルールを守ることで集団帰属を保障するものになるのです。「ルール」は集団に属し、その中で自己実現を図るために、あるいはその集団を他の集団から防御するために必要なことなのですね。お見事です、部長!

かつて私も「ルールは破るもの」などと豪語していたお茶目な時代がありました。「自分が法だ」とか「自分が神だ」とか・・・今思えば本当に恥ずかしい限りですが、一度は皆さん通り過ぎる時代なのかもしれませんねぇ。なにせあの頃は、怖いものなしでしたから・・・

さてマズローは、「親和の欲求」で終わることなく上位を目指しなさいと説きます。認知欲求とも言われる「自我の欲求」、そして最上位は創造的活動である「自己実現」です。この最上位を目指すことはもちろん、人としてとても大切なことですが、それにはまず下位を実現することが大切です。つまり「ルール」を守ることで集団のなかで生かされて初めて、自己実現の道が開けるということなのです。誰もが同じ、人としてこの世に生まれた以上、できればそれぞれの「自己実現」をかなえたいものです。うちの会社は社員にそんなステージを用意してあげたい。で、そのために、「ルール」はちゃんと守りましょうねぇ皆さん。

「ルール」は少ないほうがいいです。その集団が成長し、成熟度が上がり、「風土」みたいなものがあたりに充満し、「ルールなくしてルールを守るような空気」を醸成できれば、「ルール」なんて面倒なものは、ないに越したことはありません。そんな組織にしたいと思いつつ、遅刻者100円ルールを再発動する、トホホな社長でありました。

今夜は、ドーハムの「QUIET KENNY」、なんとなく一般論として彼を決定付けてしまった感のある「静かなるケニー」です。ドーハムのワン・ホーンにデリケートなバッキングで定評のあるトミ・フラのピアノ、チェンバースのベースにスティディなテイラー。おっと、今日のテイラーはちょっとドーハムをプッシュしたりしてますが・・・曲はスタンダードありドーハムのオリジナルあり。そしてファンキーなブルースでもミッド・テンポのスタンダードでも、テクニック一発ではないドーハムの格調といいますか、スティディな演奏と醸し出されるリリシズムは、多くのJAZZファンに愛聴される所以だと思います。このちょっと落ち着いた感じの安定感は、ドーハムの真骨頂であると同時に、フラナガンのサポートも重要な要素になっています。歌心と骨太という、微妙なバランス感覚の上に成り立っていた彼の、もっともらしさを聞くには最適な一枚ですし、「スタンダードなラッパのハードバップを!」というご要望にもお応えできる、なかなかの一枚です。もちろん、春の宵にもぴったんこですだ!

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