2006.03.02
「Show time! Everybody!」
DOUBLE RAINBOW by Joe Henderson (1995)
今週も残すところあと2日になりました。今日はとても寒い一日でしたねぇ。ガソリンスタンドのお兄ちゃんが、寒そうでお気の毒でした。朝、お客様のところに直行して、明日本番稼動のシステムの最終確認。その後も、お客様対応やら書類関連やらで正午すぎ。最近脱サラした知人と昼食をとりながら、あれこれ。今日は社内勉強会はパスして、その後のソリューション事業部会議を横目で見ながら、自部署の営業関連の雑務をいろいろ。夕方、先週から引き続きの全社員参加の問題解決セッション。今日は先週のカードのタイトル付けと、その他業務フローの問題点の共有やら、ワンダーの進むべき道に関するセッション。大事なことはコミュニケーションとベクトルの共有です。これと平行して、社内MLによる、別の行動計画のセッションを同時進行。リアルなコミュニケーションと情報技術の使い分け。夜はWeb講習実務講座で、基本的には自習でしたが、テーマは「コンセプト」の捉え方って感じですか。今日はあまり喋らず、皆さんの邪魔をせず。それぞれ、いい企画が出来つつあります。なんだか、大学のゼミぽいなぁ〜。今日は直帰しましたよ、森本さん!
今日の全社セッション。笑いもこぼれる1時間でしたが、中身は濃かった。過去・現在・未来。そんな俯瞰の上で、明日の自分たちを語り合う。思い返してみれば、私が新入社員の頃に、先輩とこのようなフリーセッションを持つことなんてありえなかった。まあ、業界自体が軍隊みたいなところもあったし、上司の指示は絶対服従でしたし。しかし今のうちの組織は社員全員が必要欠くべからざる構成要素であり、ジグソーパズルのピースのように、それぞれがぴったりとつながりあっている。社長と新入社員が同列か・・・そうなのです。権利と責任の大きさは違うかもしれません。でも、誰もが同じように想像力・創造力を必要とし、等しくリスクを共有しています。
「社員をパートナーと呼ぼう」運動みたいなのがあります。これまで社員を奴隷のように扱ってきた会社なら、そのくらいのドラスティックな言い方の変更をしなければいけないと思いますが、私はそうは思いません。「パートナー」という言葉が何となく意味するような、自由参加型ではなく、重い責任を持った役割分担型といいますか、あるべき社会の縮図です。例えば、ある芝居を舞台でやるとします。その時共演する役者さんたちを「パートナー」とは呼ばない。それぞれが欠くべからざる役目を持ち、自らの役割を十二分に演じきり、また全体の調和、つまりハーモニーに共鳴する。
社員さんによく語る言葉。「私は皆さんのためにステージを用意します。皆さんはそこで自らの人生というドラマを、あるいはダンスを、楽器の演奏を歌を、悔いのないように全力で演じてください。」わんだーみっくすのドラマでは、全員が主人公なのです。
今夜のアルバムは、ジョーの新らしめのアルバム。ジョビンの曲を集めたボサノバ集です。ピアノにハービーハンコック、太鼓にはジャック・デジョネットなどが参加した95年もの。季節的にはちょっと違和感はありますが、逆に今日のような日に、夏に焦がれて聞くのも一興かも。ただのイージーリスニングテナーでないところがヘンダーソンらしさで、軽く流せばそれなりにいい感じだし、彼の揺れるフレーズと艶をしっかりと味わうことも出来ます。アルバムタイトルの「ダブルレインボー」とは、アメリカのJAZZシーン、本場ブラジル、二つの場所から見た虹=ボサノバという意味。街も静まり返った深夜に、ちょっと絞ったスピーカーから流れ出るジョーのテナーは、もしかするとおなかの中で聞くお母さんの声のようなものかもしれない。ブラジル、セナの生まれた国です。