2006.05.18
「トホホにも骨があり・・・」
SOMETHIN' ELSE (1958)
週も後半の木曜日です。台風1号が発生したそうですねぇ。まあ、この時期は偏西風が弱いので、日本にやってくることはまずないのですが、もちろん用心に越したことはありません。備えあれば憂いなしデス。今日も3件ほど顧客訪問をさせていただきました。いろいろとご用命、ありがとうございます。帰社して引継ぎやら手配やら社内ブリーフィングをこなして、今日も早めに退社。今日はちょっと(かなり)(そうとう)気分がすぐれず、ブログを書く気力が(まったく)なかったのですが、全国の(3名ほどの)「BOSS's Column Fun」の方々の顔を思い浮かべ、奮起してキーボードに向かっております。
昨日「骨」のお話をしましたが、私自身の「骨」というのはつくづく「闘争心」なのだなと思いました。そうです、「私は闘争心が強い」。思春期の頃はそんな自分がいやで情けなくて、戦うことをはなから放棄したりしてました。でも、「3つ子の魂、100まで」、「すずめ100まで、踊り忘れず」といいます。いい年になって、まわりの同級生などを見渡せば、いいおじさん、気のいいおじさんになってきていると言うのに、私は未だに「闘争心むき出し」なのです。本人も、いいかげん恥ずかしいです。トホホです。しかも、その闘争心が結構、空回りしたりする。トホホの上塗りです。でも、やっぱり「戦い」が好きです。燃えます。最近は「萌え」の方が流行っているようですが、私はなんたって戦中派。萌えません、燃えます。時に、がんを飛ばしたりします。小さな子供はおびえます。(当たり前だーつうの!)でも、「喧嘩」は嫌いです。「喧嘩」はしたくない。闘争心と喧嘩は別物です。(と思います・・・多分・・・)
連戦連勝の常勝ファイターならかっこいいのですが、わたしよれよれです、ふらふらです、とぼとぼです。そよ風が吹いただけで、リングに伏してしまいそうです。かなりなトホホ度です。でも、たとえ倒れても立ち上がります。もちろん「闘争心」だけでは難しい。ここでピリッと「プライド」の気付けです。自分では、人から見てやたら「プライドが高い」とは思って欲しくないと思っています。どちらかと言えば、自分に対して誇れる「自分」でいよう。そういう、まあ内向きの「プライド」です。「プライド」と胸を張って言えるものなのか、ようよう不明です。だからかわいいものです。他愛ないです。これもそよ風で吹き飛ぶほどのものです。でも、私はこの「闘争心」と「プライド」で、背筋をしゃんと伸ばし、ここに立ち、明日を歩いています。街ですれ違っても、間違っても「闘争心とプライドが歩いてるー」と指を差したりしないでください。照れます。シャイなのです、見かけによらず。何の話だかよくわからなくなったので、今日はこの辺で・・・今日の結論、やっぱりトホホです。
マイルス17夜は「Somethin' Else」です。えっ、それってアダレイじゃないの? そうです、でもマイルスです。前作でご紹介したとおり、マイルスは第一期マイルス・バンド(アルファバージョン)に足りないものを見出します。アダレイのブルース・フィーリングです。そして二人のキャラの異なるサックスの上を、自らのペットを縦横無尽に走らせる試みをします。で、今夜のアルバム。自伝によれば、「アダレイが契約したBNのレコーディングに、アダレイが加わって欲しいというので、友情で参加した」とあります。一方、ナカヤマ氏はライオンとの友情物語を熱く語ってくれます。このアルバムの録音テープの箱に、ライオンが「リーダー、マイルス・デイビス」と書いたそうです。事の真相は不明です。確かに、このアルバムでのマイルスの存在は絶対的なものです。とにかく、裏の話はとりあえず置いといて、純粋に58年のマイルスを聴こうではありませんか・・・って、みんなそうしてるっちゅーの! わしだけか、小理屈並べてんの・・・
1曲目、かの、かの、かの有名な、このアルバムを「泣く子も黙る1595」と言わしめた、あの「枯葉」です。「ヒヤキヨウガン」よりはるかに強力です。全ての赤ん坊が泣き止みます。(そのはずです、試してはいません)しかも名演です。こんな「枯葉」は他では決して聴けません。命を全うし、散り行く枯葉の魂が乗り移ったかのようなマイルスのミュートの一音一音。ただならぬ気配を感じて、いと滑らかではあるけれど、ブルースというよりはネイチャーに吹き上げるアダレイ。ハンク・ジョーンズも痛々しいほどのピアノを聞かせます。ブレイキー、生まれ変わったようなおとなしい演奏です。(全編を通してですが・・・)この曲の素晴らしさは、一発テイクの生み出した奇跡的な演奏もさることながら、間の取り方、タメの生かし方、そういった部分をマイルスがうまくアレンジしてるからだと思います。本当に絶妙なのです。ジャマルなのです。
で、このアルバム、「枯葉」だけしか聞いたことない方も多いはず。それほどこの曲が素晴らしいことは間違いないのですが、実は他の曲もじっくり聴けばやはり名演ぞろいなのです。前作からマイルスは、モードなる奏法にはまっています。ただ今回は、自分のリーダー作じゃないし、リズム隊も違う。だからモードを推し進めるのではなく、ちょっと違ったテイストを試しているようにも聞こえます。いずれにしても素晴らしい演奏です。そしてまた、この録音を通して、ガーランド不要説に確信を抱いたはず。だってガーランドでこの「枯葉」は無理だったでしょうに・・・アダレイのリーダー・アルバムに深入りするのはこの辺にしておきます。帝王マイルスの50年代の総仕上げ、「モードの帝王物語」完結編まであとわずかです。