2006.06.27
「(葛原風)火曜日は難しい」
Seven Steps To Heaven (1963)
ちゅーずでーです。午前中、Y下さんと納品前のシステムの内覧会に参加。Y下さん、メールは「ちょっと」ではなく「ちゃんと」見ましょうね! 中途半端はだめよ! B17から硫黄島まで、マニアックなお話をお伺いしながらお客さまと昼食。戻って、企画ものの確認やら見積もり作成やらあれこれ。お仕事もいただき、本日の営業職のノルマも達成。ありがとうございました。日々の営業ミーティングを終えて終業しました。今日一日、正確には約12時間がたった数行。光陰・・・です。
今日もいいこと悪い事、いや悪いことというより見たくもないものを見てしまったりはしたのですが、とにかくばたばたと過ぎてしまい、とりあえずゼロかイチかの処理に追いまくられていました。なわけで、コラムは無しよのいきなしマイルスです。
前回の「カーネギーホール」の後、なんとマイルス以外のメンバーがすべて退団してしまいます。マイルス、独りぼっちになったわけです。でも、そんなことでへこたれる我がマイルスではありません。師です、鏡です。「苦は楽の種」です。で、マイルス株式会社の大リクルート活動が始まる。結果的にはこの総入れ替えが、黄金の60年代を築くことになってゆくのですが・・・そして採用1号は、トレーンの紹介状を持ってきたサックスのジョージ・コールマン。第2号は当時モードをやっていたベースのロン・カーター。太鼓には、フランク・バトラー、ピアノには、イギリス出身のビクター・フェルドマンが揃います。そんなことであちこちで公演を始めたのですが、マイルスどうもしっくりこない。その理由は今夜のアルバムにしっかりと刻まれているのですが・・・
なわけで、しっくりくるメンバーを追加リクルート。で採用が決まったのが、若干18歳にして、マイルスの惚れこんだドラマー、トニー・ウィリアムス。そしてドナルド・バードが紹介したハービー・ハンコックだったのです。とりあえずマイルス、しっくりこないメンバーで63年4月16日〜17日にLAでスタジオに入ります。その時の録音がこのアルバムの奇数番。そして1ヵ月後の5月14日、NYでは新メンバーでスタジオ入りし、偶数番に配置されます。
まずは奇数番の3曲、「Basin Street Blues」「I Fall In Love Too Easilly」「Baby Won't You Please Come Home」。いきなりマイルスのミュートから入る一曲目、これまでのマイルスとはなんとなく違う。「新主流派的」とでもいいましょうか・・・とにかく、何となく新しい・・・。次なるマイルスの目指すものがチラッと見え隠れしている。でも、やっぱり何となくの域。で、フェルドマンのピアノソロになると、一気に女々しいエバンス風になってしまう。「こりゃ違うベー・・・」きっとマイルスも同じように感じたはず。(えらそーに・・・)でも、マイルスのミュートは見事です。「ミュートはかくあるべし!」ってまた言ってるよ・・・他の2曲も同様の演奏、つまりは今日のベストであって明日がないのです。
一方のNY録音。リズム隊が入れ替わり、テナーにコールマン登場。「Seven Steps To Heaven」、イントロのトニーのシンバルからして「さようなら50年代、こんにちは60年代」と言っている。マイルスも好調、オープンで吹きまくります。ロンのベースは駆け巡り、ハンコックの刻みもポスト・モードを感じさせます。すたこらさっさの短いドラムソロに続いてコールマンのソロ。んーこれですよね、マイルスの探していた音は。モブレイさん、残念ですが、そういうことなのです。この時期、こんな演奏していたJAZZバンドが他にあったでしょうか? 「ない!」はい、断言します。
続く「So Near,So Far」、なんですか? もうすでに出来上がっているではないですか。誰も彼もが、なくてはならない60年代のパーツになってる。マイルスもご機嫌でオープンしてます。お払い箱のフェルドマン作、JAZZロック風の「Joshua」、マイルスのフエーズも確実に新しい。ハンコックのピアノも正常進化のエバンス風、いやこれこそがハンコック風味なのでしょうねぇ。ロンのフレーズもJAZZっぽさからの決別、しっかりロックしてます。縦に振り下ろすようなコールマンに、からみつくようなそれでいてタイトなトニーのばちさばき。んーこれで何も起こらないはずがない。そう、60年代黄金クインテットはこうして誕生したのでした。プロデューサーにはテオ・マセロも名を連ねるこのアルバムから、マイルスさまは天国ならぬ帝王への道を一気に駆け上がり始めるのです。60年代JAZZの「種の起源」はここにあり。