2006.06.29
「経営指針の前に、経営者とは・・・」
Twelve O'clock High 邦題:頭上の敵機 (1950)
さーすでーです。(今週はこのパターン定着ですなぁ〜)午前中、部長とお客さまを訪問。精一杯がんばります、どうかよろしくお願いいたします。午後からは一人で高速を移動し、別のお客様を訪問。長時間、ありがとうございました。スムーズかつスピーディな納品を心がけます。戻って事務処理やら顧客対応やら。夕方からは同友会の経営労働委員会に参加しました。お二方の貴重な体験報告を拝聴したあと、「経営指針に経営者と社員の思いが結実していますか?」という、いかにもH委員長らしい言い回しのテーマをいただき、グループ討議をいたしました。
うちのグループにはU川さんもいらっしゃったのですが、やはり私と認識が近い。そもそも経営者の思いが入っていない経営指針なんて意味ないですよねぇ〜。で、社員の思いって大切にしなければならないのですが、それって「理念」のレベルなのでしょうか? 視線の位置は、マズローのどの辺なのでしょうか? そもそも経営者とは何者なのでしょう? 中小零細企業の場合、経営者の情熱や持てる力、姿勢や理念はその会社そのものではないでしょうか? 社長は社員の、会社全体の「鏡」たるべきです。つまり「理想」「理念」「あるべき姿」を指し示し、常に規範として振舞うこと。あるいは社員を含めた利害関係者に対して、総体としての会社の「目的」「目標」を悩みぬき考えぬいてこれを示し、社員の思いを一致させるひたむきな努力を延々と続けなければならない。これこそが、職業ではない、体現者としての経営者のあるべき姿ではないでしょうか?
また経営者は、組織のリーダーでなければなりません。それは和合の中の一人ではなく、時には和を持ってことを為し、あるときは心を鬼にして、自らの犠牲をいとわず、また厳しくあらねばならない。会社の基本は「仕事」であり、それは本来とてつもなく「尊く」、またとてつもなく「厳しい」。ただの「仲良しクラブ」ではとてもじゃないですが、無理です。そしてリーダーは、さまざまな利害を持った人間をひっぱってその「尊く厳しい仕事」に取り組み、共通の目的、共通の目標を達成しなければならない。それがいやだったり、出来ないと思うなら、経営者であることを辞めるべきでしょう。「会社」とは「社会」の裏返しであり、「法人」とはそれ自体自立した「掟(法)を持った人格」のだと思うのです。うちですか? えーっと、どなたか社長代わっていただけますか・・・・いやはやトホホです。
昨日は「頭上の敵機」という映画を久しぶりに見ました。原題は「Twelve O'clock High」、つまり掟破りの昼間爆撃のドラマです。第2次世界大戦のヨーロッパ戦線、イギリスを基地としてナチスドイツを爆撃するB17の部隊の指揮官の物語。友人である前任の指揮官は部下想いで部下からも慕われていましたが、多大な損害をこうむっていました。代わって指揮官になったグレゴリー・ペック扮するサベージ准将は、「心を鬼にして」部下をしごく。なんと部下全員から「異動願い」を出されて窮地に立ちますが、部隊つまりは組織に共通の目的を持たせ、隊員たちに自らの仕事に誇りをもたすべく奔走します。映画自体は相当古いものなのですが、私自身はこの准将に、組織のTOPのあるべき姿を垣間見ました。彼は「心を鬼に」したわけで、「鬼の心」ではないわけです、わかりますよね。隊員たちの直面している「戦争」そして「死」(爆撃隊員の生存率は何と70%なのです!)は、そのまま私たちの「仕事」そのものです。20歳そこそこの隊員たちの心を一つにし、またその中から優れたリーダーを育ててゆく・・・若き悩み多き経営者の皆さん、是非一度見てみてください。
BOSS的には・・・★★★☆☆
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というわけで(どういうわけ?)今日はマイルスはお休みします。つまり「あれ」もお預けです。次回をお楽しみに!