2006.07.30
シンプルな情熱 Passion simple アニー・エルノー
「昨年の九月以降わたしは、ある男性を待つこと―彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外何ひとつしなくなった」離婚後独身でパリに暮らす女性教師が、妻子ある若い東欧の外交官と不倫の関係に。彼だけのことを思い、逢えばどこでも熱く抱擁する。その情熱はロマンチシズムからはほど遠い、激しく単純で肉体的なものだった。自分自身の体験を赤裸々に語り、大反響を呼んだ、衝撃の問題作。「BOOK」データベースより
小説の中には、100人の読み手がいたら100の物語になるものがあります。多くの絵画や音楽も同様です。この小説(私小説?)もおそらくは、読み手によってさまざまな反応やその後の物語を生むのでしょう。もちろん、ありきたりのお話も大切です。全ての物事が謎解きばかりであったなら、私たちは片時も気を緩めてボーっとすることが出来ませんから。でも逆に、時々はこんな彷徨いを促すようなものに触れることも、とても大切なことだと思うのですが・・・感性の栄養って感じでしょうか?
彼女は恋がシンプルであることを高らかに掲げます。恋は愛ほど複雑ではないと。それを男女の肉体関係だけに昇華して我々の前に提示してきます。「どう? あなたの語っているその長々とした感受性とやらに溢れたとても美しい恋物語は、本当はこんな風に少ない言葉で語れるシンプルなものではないの? 」と・・・元来、女性と言うものはそうじゃないと言うような話が一般的だし、私は男ゆえ女性の根源的なことはわかりませんが、人が人間である前に動物であることを考えれば、しごく当たり前のような気がします。
教養や知識や文化といったややこしいものに隠された、男が女を、女が男を求めるそのわけの、ひとつの(シンプルな)答えのような気がします。そしてそれは決して時空を超えたり、時間軸を包含するようなたいそうなものではなく、ある瞬間の「パッション」、与えられた逃れることの出来ない受容すべき苦痛がベースとなった情熱に他ならないと思うのです。それが雪のように、あるいはチリのように積もって、人はやっと「恋愛」というものの姿をぼんやりとでも認識することが出来るようになる。結局人は、過去でも未来でもなく、今この一瞬をしか生きることが出来ないし、捉えることも受け止めることも出来ないと言うことなのでしょう。さあ、卑下することも、羞恥することもなく、誰かと体を重ねましょう。BGMは、そうですねぇブラームスの2番あたりの流れる部屋で・・・それが生きていると言うことの、ひとつの証でもあるのですから。