2007.01.18
「体力と知力の微妙な関係」
Sorcerer by Miles Davis (1967)
昨日は朝から臨時運営会議。年明けから引き続いての下期から来期にかけての自社の取組方針の模索検討です。まだクロージングに至ってはおりませんが、いずれ皆様にもさまざまな形でお知らせすることになりそうです。誰よりも一番楽しみにしているのは私かもしれませんが・・・。その後、面接やら企画関連の仕事やら。夕方には部長とお得意様を訪問。時間経過でデジタル的に変わらざるを得ない取り組み内容に、多少ついていきかねるところはあるのですが、なんとか1日を無事過ごしました。まだまだ「人間力」が足りませんなぁ。
今日も午後から「出たきりすずめ」です。動く分だけ、脳が退化するなんて話はないですよねぇ。本人はなんかすごく怖がっていますが・・・。移動しつつも「脳」と「心」を鍛えるべくがんばってみます。
ひさびさにマイルスやってみますか・・・といっても書きだめ記事ですが・・・^_^;
JAZZというマイナーな音楽ジャンル、一人でも二人でも、最後まで通読いただけることを期待して・・・
Sorcerer (1967)
マイルスの音楽を聴く時、もちろん「名演・名盤」と呼ばれるものを単独で楽しむのもいいのですが、私のようにその深みにどっぷりとはまってしまうと、「なんでこの音なん?」とか「なんでこのフレーズなん?」と、逆に素直に聴けなくなってしまう。ちょうど、モネの「日の出」を淡くてきれいな絵だなぁと思ってるうちはいいのですが、絵画の歴史をルネサンス以前に遡り、なぜこの時代にモネはこんな表現をしたのかを知ることも、絵画の楽しみであるように・・・。いえ、マイルスの歴史を、そのまま絵画の歴史と比類させるほど大胆なお話ではなく、あくまでも私の個人的な趣味の世界の中のお話なのですが・・・。
で、マイルスを10年ごとに「黎明期」「バップ時代」、そして本来の意味の「モダン時代」である「ESP」「SMILES」を聴いて、このアルバムを聴くと、さまざまに試行錯誤しながら今日の(明日のではない)音楽を模索するしたたかなマイルスが見えてきます。いや、もしかすると今日ではなく、ずっと未来しか見えていなかったのかもしれませんが。
2年間の間にフリーのよさとその限界を敏感に感じ取ったマイルスは、フリーのどしゃぶりに全身ずぶぬれのメンバーを引き戻し、「67年のマイルス」を演奏します。その違いは昔の曲をフリーにやった「プラグド」を聴き倒すと明らか。モネの淡色の意味が見えてきます。求めていたものはモネの「光」に対し、マイルスの「メロディ」なのですねぇ。いえいえ、もちろん単独でお聞きいただいても、理屈ぬきにしっかりマイルスですから。
それにしても、7曲目。ナカヤマさんのおっしゃるとおり、この曲だけでなくボブ・ドローがらみの曲というのはこの世から抹殺すべきです。大賛成です。最悪でもどこか地球外生命体で起こったしまったこととしてじゃぶじゃぶ水に流したい。まさしく「ボーナストラックとして削除」の1曲ですよね!
ちなみにこのアルバム、ジャケットは新しい恋人、シシリー・タイソンのドアップ。次作「Nefertiti」のドアップ・マイルスと「コンニチハ」してるのは知る人ぞ知る有名なお話。そんな私生活の移り変わりよりも激しい、マイルスの音楽性、いやJAZZの方向性を指し示す羅針盤がようやくある方向を指し示そうとする、イブか、イブイブなアルバムなのです。プロコルハルムの青い影がリリースされたのもこの年でした。