2007.01.24

JAZZ

「ハード・タイムス」

Nefertiti by Miles Davis (1967)

最近ブログを書くのがお昼前後なので、前日の午後から午前中の出来事がメインになっています。読んでいただいている方にはわかりにくいかもしれませんが、書いている本人もわかりにくい。だったら夜書いたら?はい、まあ、そうなんですが・・・。とにかく今は昼です。

昨日午後は、部長と高速を移動してお得意様を訪問し、サーバー&回線関連の打ち合わせ。長時間ありがとうございました。その後、もう一件お得意様を訪問、こちらはサイト企画に関するセッション。帰社して雑務を処理して、夜は同友会ビジョン作成実行委員会に出席。うちのグループは、O田G長不在のまま、各論談義に終始。いやいや楽しい2時間でした。(で、いいのか?)帰社してスタッフと雑談。目指すべきは、いと高きところですねぇ。

今日は午前中面接一件、得意先訪問一件。午後からも得意先訪問2件に、夜はWeb講習の講師のお仕事があります。明日も得意先訪問一件と県外出張。ちょっとハードです。いや、かなりハードです。「ハード・タイムス」です。ボズ・スキャッグスとは関係ありません。で、ラフにならないよう、がんばります。

今日はマイルスでも行ってみましょうか?大丈夫、ネタはまだまだありますので・・・。絵画ですか?それはまたいずれ・・・。

Nefertiti (1967)

マイルスの鉄壁クインテットは、1967年の5月から7月にかけて何度かスタジオに集まり、さまざまな試みを記録してゆきます。それが前作「Sorcerer」と今日ご紹介する「Nefertiti」、そしてその他未発表テイクを集めた「Water Babies」なのですが、マイルスの歴史の中では大きな転換期であるこの時代、現在のJAZZの世界から俯瞰すると、この2枚のアルバムが以降の「新伝承派」のバイブルとなったことは明らかです。しかし当のマイルスは、今の私たちのことなど知らぬ存ぜぬ、新しい音楽への模索にもがき苦しんでるわけですが、この時期はそれまでのラッパ系の即興ではなく、リズムの即興、すなわち複雑なリズムの組み合わせのアプローチなどを行っており、これが現代の私たちには逆に新鮮に響いてくる理由にもなっています。

このあたりの時代のものを流れで聴いていると、本当にマイルスの苦しみが痛いほど伝わってきます。JAZZを芸術と捉えるか否かは百家争鳴あると思いますが、とにかく新しいものを生みだす、その生みの苦しみというのは、古今東西老若男女を問わず(?)大変なことなのですね。

ここでマイルスの大きな転換を可能にした理由には、このクインテットがマイルスバンド史上、もっとも鉄壁であった、つまりひとりひとりの才能と全員のバランスがこれほどまでにとれていたバンドはなかったということ、そしてもうひとつ、常にトランペットをインスパイヤーするドラムスにトニーがいたことが大きな理由ではないでしょうか?実際、この2枚のアルバムを聞けば、トニーのワンマン・スタンドにも聞こえなくもない。それほどまでに充実した素晴らしい演奏を聞かせてくれます。
しかし、マイルスはそろそろこのバンドの限界を感じ始めていた。あまりにも完璧であるがゆえに、次の一手が見えない。そしてマイルスはエレクトリックという未来的な響きと、ジェームス・ブラウンのファンク、ギターサウンドへの興味、そして原点回帰ともいえるマディ・ウォーターやBB・キングへのアプローチが始まろうとしています。

7月17日 ジョン・コルトレーン死去 この日を持ってフリーイデオムはその終焉を迎えます。

「偉大ですばらしいミュージシャン、それに優しくてビューティフルでスピリチュアルで大好きな人間だったから、トレーンの死には心底悲しくなった。トレーンの肉体もスピリットも、創造的な想像力、それに探求的で革命的なアプローチ、そのすべてがなくなって寂しかった。」

Nefertiti.jpg

ここで視聴できます!

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